科学でも、その目的を違えると、仮説も違いますので、当然結果も違うようになるのは、もっともな話です。
仕事でも、この目的は、意外と間違えられることが多いのです。資本主義社会では、会社の目標は利益を上げなければ、組織が成り立ちません。身の丈に合った営業であっても、世界を相手にする大企業であっても、同じだと思います。目標を見失う事が、往々にしてあるのです。なぜ、目標を見失うのでしょう。
目標というものは、目的があって、初めて立てる事ができます。しかし、この目的が、お題目や、絵に描いた餅になってしまっては、組織の人達が共有する事を忘れてしまいます。
大抵の社員の認識は、そう言えば、部屋に社是や理念が掲げてあった。位の感じになっています。会社でも歴史を重ねると、目的を共有する事が、ほんとに難しくなってしまいます。
ですから、会社の存続が、創業から30年経つと0.02% と言われている状態になります。もちろん目的を見失う事だけが、理由ではないとは、思いますが、それでも大きな要因に違いありません。目先の目標の達成に血道をあげていると、思わぬ落とし穴にはまってしまう事になります。
それでも、時代にそぐわない目的になってしまうかも知れません。その時は、潔く会社の役割は終わったと考え、会社を畳むか、新たな目的を立て直すか、それは事業主や株主の判断です。
これは、月のスローガンであっても同じです。目的から紐づけされた、目標を立て、その目標を達成するための、スローガンでなくてはなりません。しかし、仕事にのめり込むあまり、その目的を忘れがちになります。特に上司がこの目的・目標を忘れた時には、まるで氷上に洗面器を投げた状態で、どこに行ってしまうか、予測も立てられません。
孔子は、あくまでも『詩・礼・楽』を通して『徳』を身に付けた、『徳治主義による君主政治』を理想に掲げています。
これは、間違えてはいないと思います。十七条憲法の聖徳太子も同じ考えだったと思います。しかし、この主義主張には大きな落とし穴があります。ここに出てくる「天子」です。
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さて、どのような「天子」なのでしょう。『論語』を読んで見たいと思います。
●白文
『孔子曰、天下有道、則礼楽征伐自天子出、天下無道、則礼楽征伐自諸侯出、自諸侯出、蓋十世希不失矣、自大夫出、五世希不失矣、陪臣執国命、三世不失矣、天下有道、則政不在大夫、天下有道、則庶人不議』。
●読み下し文
『孔子曰く、天下道あれば、則ち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、則ち礼楽征伐、諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、蓋し十世にして失なわざること希なし。大夫より出ずれば、五世にして失なわざること希なし。陪臣国命を執れば、三世にして失なわざること希なし。天下道あれば、則ち政は大夫に在らず。天下道あれば、庶人は議せず』。【李氏篇16-2】
では、現代文にして見ましょう。
「孔子が、天下に道があれば、礼楽征伐は天子から出る。天下に道がなければ、礼楽征伐が諸侯から出る。礼楽征伐が諸侯から出れば、もしかしたら政権が十代とつづくことはまれである。礼楽征伐が大夫から出れば、五代とつづくことはまれであろう。陪臣が国政執れば、三代とつづくことはまれであろう。天下に道があれば、大夫が政治を執らない。天下に道があれば、庶民が政治を議論することはない」内容はこのようなものだと思います。
この中で、礼楽は、孔子の言う「君子」に必要な文化でしょう。征伐は、反乱者や悪い者を取り押さえる武力と言えます。今の日本で言えば、警察や自衛隊の事だと思います。
この中に階層が見られます。一番上が、天子。続いて諸侯、次が大夫、陪臣と4つの政治を司る位が出てきます。
この中で、天子と言うのは、初めて出てきました。『現代人の論語』では、500章に及ぶ論語の中で、2回しか「天子」と言う言葉は出てこない記述があります。しかも、もう一つは、詩経を引用した言葉だそうです。
「天下に道」と言う言葉が出てきますが、今で言えば政治や憲法、あるいは共通のルールと、それを守るための仕組みであると考えます。
「天子」とは、孔子の時代ですから、周王朝の事でしょう。しかしその権威も失墜し下克上の時代に突入した時に、孔子は生まれ、周代の封建制を復興するために、思想を説いたと思っています。その中で、孔子の言う「天子」とは、天命をうけて地上を治める者の事を言っているので、下克上の最中に権力を手にした諸侯や大夫に対して、国を治めるには「徳」が至っていないと思っているのです。「天子」でなければ、世の中を永く安定させる事はできないと思っていたのだと思います。
私は、はじめに、落とし穴があると、書きました。理由は「天子」です。孔子が、もし、この「天子」を周王の事を言っているのだとすれば、すでに間違えています。なぜなら、孔子は「天子が国を治めれば万事うまく行く」と言っているのと同じです。とすれば、すでに周王の力は衰え、春秋時代に突入しているのですから。
『論語 八〔いつ〕篇3-1』に『孔子謂季氏、八〔いつ〕舞於庭、是可忍也、孰不可忍也』『孔子季氏を謂わく、八〔いつ〕を庭に舞わしむ。是をしも忍ぶべくんば、敦れをか忍ぶべからざらん』
ここで出てくる〔いつ〕は、左の漢字です。
内容は、八〔いつ〕の舞を、李氏が庭で舞わせた事に、立腹している様子を言っています。 これを我慢するのなら、何を我慢すれば良いのか、とも。
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たまたま、NHKの歴史秘話ヒストリア(2018/4/7再放送)を見ていました。日本では、蘇我入鹿が「八つらの舞」を舞わせて、天皇の怒りに触れ、滅ぼされたと言っていました。
歴史は繰り返すと言いますが、天下を取ると、自分を高く評価させたいのは、同じなのかも知れません。いや、偉くなったと勘違いするのでしょう。現在でも、そう言う人を多く見る事ができます。
諸侯や大夫、あるいは陪臣が権力を握ると、ろくなことはないと、孔子は言いたかったのかも知れません。
ちなみに、「八つらの舞」と言うのは「八〔いつ〕」と同じで、8列8行の64人で踊る事は「天子」に許されていて、諸侯は、6列6行の36人、大夫は4列4行の16人、などと位により決まっているそうです。
孔子の言う「礼」に則っていないという事なのでしょう。
孔子は「徳治政治」を実現しようとしていたのですが、実現不可能とは思いませんが、人間のやる事ですから、そう上手くは行かなかったのでしょう。現代に至るまで、孔子が描く「天子」のような人材は輩出されません。
もし、ここで孔子が「天子」を縁戚主義的に「王」と考えるのであったとしたら、尚更そこには、理論上無理があります。トンビが鷹を生む譬えはあったとしても、また、親から子にDNAが遺伝によって受け継がれたとしても、親から子にここで言われる「天子」が、全ての子に引き継がれるもので無い事は、現代の人であれば、誰もが承知している事でしょう。
世襲が全て悪いとは思いません。世襲できるという事は、世襲できる教育環境が整えられ、教育を受ける環境の下で育つという事が、最低条件では無いでしょうか。それでも、その教育を受ける者が、蘇我入鹿や、驕る平家にならないとは言えないのです。
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.