文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【137】

 今日の文字は『博学はくがく』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 博学

 
『石垣島への自衛隊配備 賛否問う住民投票へ、署名簿提出』
(朝日新聞DIGITAL 2018/12/05 01:17)

「沖縄県石垣市への陸上自衛隊の配備について、賛否を問う住民投票条例の制定をめざす市民団体は4日、1万5135筆の署名が集まったと発表した。直接請求に必要なのは有権者数の50分の1以上だが、その約20倍にあたる。団体は4日、署名簿を市選挙管理委員会に提出した。
—–後略—–」

 国の安全保障の問題を、地方で決めてよいと言う事で、国の統治はできるのでしょうか。

 確かに、ある日突然、隣に自衛隊が配備されたり、米軍の施設が出来ると、生活に不安を持つ事も解ります。

 しかし、国で決定されたことが、地域で覆す事ができるのであれば、国会は何のためにあるのでしょう。そして、国会議員の存在は必要ではなくなります。

 個人の意見の重要性は良く分かります。しかし、それが組織運営、国家運営となると、個人の主張がまかり通るようになると、難しいでしょうね。

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百三十六段 〔原文〕

 醫師篤成あつしげ、故法皇の御前に候ひて、供御の參りけるに、「今參り侍る供御のいろいろを、文字も功能くのうも尋ね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六條故 内府だいふまゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、「まづ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と問はれたりけるに、「土偏どへんに候」と申したりければ、「才のほど既に現はれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、とよみになりて、罷り出でにけり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『  医師篤成あつしげ、故法皇の御前にいて、そこに食事が出てきた時、「今出てきた食事の色々について、文字も効能も尋ねて頂いければ、何も見ずに答えます。薬用になる動植物や鉱物の書物でお調べ頂ければ、一つも間違いはないでしょう。」と言われた。おりしもその時六條故 内府だいふが来られて、「有房、良い機会なので教えてもらおう」と「まづ、『しほ』という文字の偏は何か」と問われたところ「土偏です」と答えられた。「才のほどは既に分かりました。今はその程度ですか、心が惹かれ所はない」と言われたので、みんな大笑いしたので、篤成あつしげは出て行った。』

 

 

『博学』

 この話も本当かどうか疑問です。博学ではあっても、あえて人に言うのは失礼であるとか、「能ある鷹は爪を隠す」の逆の意味で、この話を作ったのであれば分かるのですが、どうもすんなりとは、信じる事が出来ません。

 ただ、この篤成あつしげと言う医者が、いつも知識を鼻にかけて、賢いと吹聴している人だとしたら、この話もあったのか、と思います。

 丁度いい機会なので、六條故 内府だいふが懲らしめた、と言う話になります。

 それとも、「しほ」と言いますから「塩」の偏を尋ねたとしたら、「土偏」ですから、篤成あつしげの答えが間違っているとも思えません。しかし、現在使われている「塩」には歴史的な変遷があります。

 もともと、形声文字として「鹽」と言う漢字が出来ています。しかし、『11世紀に中国で作られた『集韻(しゅういん)』という字書には、図のように「鹽」の異体字が並んでいて、さらに「世間一般では「塩」とも書く」という記述があります。おそらく、「鹽」はあまりにも書くのが面倒なので、図の一番下のような省略形が生まれ、それがさらに省略されて「塩」となったのでしょう。』(出典:漢字文化資料館 http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0494/)と言うように、既に、この右の図の一番下にある文字か、「塩」と言う字を使っていたのかも知れません。

 だとすれば、間違っているのは、六條故 内府だいふと言う事になります。何が間違っているかと言いますと、尋ね方に問題があります。

 六條故 内府だいふ「まづ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と言っていますので、偏のある漢字は、「塩」あるいは、出典の一番下の文字かも知れません。

 どちらにしても、偏は「土」であったと思います。「鹽」には、偏はなく、部首は「鹵」【ろ部】と漢字文化資料館の記述に見られますが、現在の部首では、「皿」【さら】になっています。いずれにしても、この二つの部首は偏ではないでしょう。

 その時には、篤成あつしげおとしめたのだと思います。そこにいる人たちの嘲笑の的になったのですから。

 しかし、この話を後で聞いた人は、どちらに軍配を揚げたのでしょう。そして、これを書いた兼好法師は、どちらが正しいと思ったのでしょうか。

 個人的には、博学を鼻にかけて威張る人も好きではありません。しかし、その人を貶めてみんなで嘲笑の的にするのもどうかと思います。

 どちらかと言うと、 博学の人の話を聞いて、感嘆する方が、知らない事が解って面白いと思うのですが。