文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【136】

 今日の文字は『なぞ』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十五段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

『橋下徹氏が断言「安倍首相は国民から必ずしっぺ返しを食らう」ーー文藝春秋特選記事』
(「文藝春秋」編集部 2018/12/04 07:00)

「文藝春秋11月号の特選記事を公開します。(初公開 2018年10月29日)

—–中略—–

「今や、僕は政治家でもなんでもない。ただのコメンテーターですから」

—–中略—–

 安倍晋三首相が自民党総裁3選を決め、10月2日に第4次安倍内閣が発足した。安倍首相が引き続き総理大臣の座に就くことについて、橋下氏は「僕は基本的にこれまでの安倍政権の政治には賛成です。その理由は『(政策の)実行力があるから』です」と語る。

—–中略—–

「(一連の財務省の不祥事に関して)確かに麻生さんに直接の責任はない。しかし、管理・監督責任という点では明らかに責任がある。辞任は当然です」

 そして、麻生大臣を辞めさせなかったことは「安倍さんの悲願である憲法改正の国民投票のときに響いてくる」と分析する。

「国民から必ずしっぺ返しを食らうでしょう」

 それは 『文藝春秋』11月号 の橋下氏による特別寄稿「安倍首相への忠言」に綴られている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2018年11月号)」

 基本的には橋本徹さんと言う人は好きです。頭の回転が速くて、洞察力が鋭いと思います。

 この記事に書かれてある、麻生大臣の件については、少し異論があります。反論では無いのですが、上の者が責任を取ってやめると言う考えは、本当にあっているのでしょうか。

 これは、管理責任や任命責任と言う名のもとに、言われています。果たしてこれが上に立つ者の責任の取り方か、疑問に感じる方です。

 理由は、現在のハラスメントと管理や指導と言った背反する矛盾を抱えて、果たして、部下を管理できるものでしょうか。

 私は部下と言っても、今の世の中は、上司と部下が対等の立場に近接していると思います。逆に立場は上司の方が弱い立場に置かれている場合もあります。

 そんな中で、管理監督と言う名のもとに、部下が勝手にやってしまった事まで責任を取る事が、果たして責任者に課せられた仕事なのでしょうか。

 上司が部下のやった事に責任を取れるのは、上司の指示、あるいは命令でやった事であって、部下が勝手な判断をした事まで責任をとる必要があるのかと思います。

 部下の主張を、法律的にも、社会的な風潮でも後押ししている中、そして相互関係が崩れる中で、上司に責任を問うには少し無理を感じます。

 もちろん、ドラマに出てくるような、なんでも部下に責任を取らせるような、トカゲの尻尾切りのようなやり方は、論外ですし、時代遅れと思います。

 スポーツの世界でも、政治や経済の世界でも、組織の構成、仕事のやり方を見直す時期に来ているのかも知れません。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百三十五段 〔原文〕

 資季大納言入道とかや聞えける人、具氏ともうぢ宰相中將に逢ひて、「わぬしの問はれむ程の事、何事なりとも答へ申さざらむや」とい言はれければ、具氏ともうぢ、「いかゞ侍らむ」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」といはれて、「はかばかしき事は、片端もまねび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、覺束なき事をこそ問ひ奉らめ」と申されけり。「まして、こゝもとの淺きことは、何事なりともあきらめ申さん」といはれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。同じくは、御前にて爭はるべし。負けたらん人は、供御ぐごをまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合せられたりけるに、具氏、「幼くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『馬のきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいりぐれんどう』と申すことは、いかなる心にかはべらむ。承らむ」と申されけるに、大納言入道、はたとつまりて、「これは、そゞろごとなれば、云ふにも足らず」といはれけるを、「もとより、深き道は知り侍らず。そゞろ言を尋ね奉らむと、定め申しつ」と申されければ、大納言入道負けになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『資季大納言入道と言う人が、具氏ともうぢ宰相中將に逢って「あなたの尋ねる事くらいは、何でも答えられる」と、言われたが、具氏ともうぢは「さてどうでしょう」と答えたので、「では問答をしよう」と資季が言った。「本格的な事は、少しも学んでいなくて知りませんので、尋ねる事も浮かびません。何でもないいわれや根拠のない事をお尋ねします。」と言われた。「なおさら、身近での平凡なことは、何事でも解き明かそう」と資季が言ったら、近習の人々、女官なども「興味がある論争である。どうせなら、御前で対決されるべきである。負けた人は、お食事を用意される必要がある。」と決定し、御前で対決する事になった。具氏は「幼いころから聞いている事で、その理由が分からないのですが、『馬のきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいりぐれんどう』と言うのは、どのような意味か教えてください」と言うと、大納言入道、即答に詰まり、「これは、戯言たわごとなので、答える必要も無い」と言ったが、「初めから、難しい事は知りません。戯言たわごとを尋ねてますと、決めたではないですか」と申されると、大納言入道の負けになって、約束通り盛大にご馳走したと言う事だ。』

 

 

『謎』

 承元元年(1207年)生まれと言いますから、兼好法師が生まれたとされる、1283年の76年前に、この資季大納言入道が生まれた事になります。この資季大納言入道は、藤原資季ふじわらのすけすえと思われますが、1289年に亡くなったとされています。(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)ですから、兼好法師が6歳の時には亡くなった事になります。

 この段の話も、誰にどのような経緯で聞いたのか分かりませんが、そんな話が伝わっていたのでしょう。

 相手の具氏と言うのは、源具氏みなもとのともうじの事だとすれば、1232年生まれで、没年が1275年との記載(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)がありますから、歳の差が25歳もあります。

 だとすれば、1259年に藤原資季ふじわらのすけすえは大納言になっていますので、52歳と思われます。源具氏みなもとのともうじは27歳と言う事になります。

 当時の年齢についての認識は分かりませんが、27歳と言うと、もう立派な大人です。しかし随分役職の差がありますから、今の会社で言えば、役員と主任程度の差があったと思います。

 これだけ歳の差がある年下の者に、この問答を読むと、今で言えばパワハラのような気もしますが、どんな関係だったのでしょうか。

 それにしても、源具氏みなもとのともうじは本当に『馬のきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいりぐれんどう』の謎解きの答えを知らなかったのでしょうか。

 当時は、この手の謎解きには、謎を解く手順があったようです。しかし、色々な人が色々解釈をして、答えを導き出しているのですが、どれも正解とは言えないようです。現在でも謎に包まれています。

 『馬のきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいりぐれんどう』を例えば、「のきつ」は、「退く」と言う意味で、馬を外すと捉え、「馬のきつ」までを削除します。

 次に「りやうきつにのをか」を「なかくぼれいり」から、中の文字が窪れていると解釈し、「りやうきつにのをか」と見て、前後を残し「りか」。

 そして、「ぐれんどう」は顛倒と言う意味らしいです。転倒と同じです。したがって、「りか」の逆さまで「かり」、すなわち「雁」と言うような答えであると解説をしている所もあります。
(出典:愛知県公立大学法人 愛知県立大学 国語国文学科 ことばへの入り口【URL=http://www.jps.aichi-pu.ac.jp/nb/kb/start/kotoba03.html】)

 何だか、難しい遊びをしていたのですね。いわゆる、頭の体操ですか。