文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【92】

 今日の文字は『赤舌日しゃくぜつにち』です。現在では、赤口と言われるのが一般的でしょう。先勝せんしよう・友引・先負せんぶ・仏滅・大安・赤口しやつこうと並べるとわかると思います。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第九十一段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 赤舌日

 
★『「金スマ」若年性アルツハイマー型認知症特集に反響』
(ザテレビジョン2018/10/21 06:00)
「10月19日に放送された「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)で、認知症患者と家族に密着。スタジオゲストのムロツヨシが「皆さんの受け入れての行動が」と支え合う家族に感心する場面があった。
金スマ「気になる病」として、若年性アルツハイマー型認知症をテーマにした今回の放送。」

 ドラマはともかく、私などはもう若年性では無い事は、百も承知ですが、病気の中で一番避けたいのは、この認知症です。

 アルツハイマー型であろうが、レビー小体型認知症、血管性認知症であろうが、一番回りの人に迷惑をかけてしまいます。

 今現在、こんな家族を抱えて、毎日奮闘している人もいると思いますが、何とも慰めようもありません。ただただ、自分まで病気にならないよう祈るばかりです。

 私の場合は、母が多分軽度とは思いますが、認知症だったと思います。その頃は父と母二人で生活し、私は月一位で家に泊まっていましたが、それはもう大変でした。父は、一日だけ家出をしたこともありました。生活に疲れたのでしょうね。

 運よく父は、倒れたその日まで、頭も体もしっかりしていました。私も父の様な最後を迎えたいと思っています。

 しかし、ニュースでみると2025年には、5人に1人がなると言われています。可能性がないとは言えないのが現実です。

 他に何も困ってはいませんが、認知症だけは避けたいと思いながら、できるだけ、頭と体を使うようにしています。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第九十一段 〔原文〕

 赤舌日しゃくぜつにちといふ事、陰陽道おんみゃうだうには沙汰なき事なり。昔の人これを忌まず。この頃、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末通らずといひて、その日言ひたりしこと、たりし事、叶はず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日きちにちを選びてなしたるわざの、末通らぬを數へて見んも、亦等しかるべし。

 その故は、無常變易へんやくの境、ありと見るものも存せず、始めあることも終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定ふぢゃうなり。ものみな幻化げんげなり。何事かしばらくも住する。この理を知らざるなり。「吉日に惡をなすに、必ず凶なり。惡日あくにちに善を行ふに、かならずきつなり」といへり。吉凶は人によりて、日によらず。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『赤舌日は、陰陽道では何も言われていない。昔の人はこれを忌み嫌ってはいない。
 この頃、誰かが言って忌み嫌うようになったのか、この日にあった事は後まで良くないと言い、この日に言った事、した事は叶わず、取得したものは、失い、計画を立てても達成できないと言うのも、ばかげている。
 吉日を選んでやって、完遂できない事を数えても、吉日と違う日にやっても同じようなものである。
 その理由は、無常変化の境では、あると思えるものも存在せず、始まったからと言って終わりがあるとも限らない。志は遂げられず、望みは湧き上がる。人の心は定まらない。物は皆変幻する。何事も瞬間で消える。この理屈を知らない。
 「吉日でも悪をなすと、必ず凶になり。悪日あくにちでも善を行えば、かならずきつとなる」と言う。吉凶は、日によって決まるのではなく、人の行いによって決まるのである。』

 

 

赤舌日しゃくぜつにち

 陰陽道おんみゃうだうには沙汰なき事なり。」と、書かれてある陰陽道おんみゃうだうは、いつの時代の陰陽道おんみゃうだうなのでしょう。

 陰陽道おんみゃうだうと言うのは、 中国から入って来た学説と考えると解りやすいかも知れません。

 天動説の方が馴染みがあると思いますが、いわゆる説ですから、科学的な根拠に基づくものではなく、その時考える環境では、如何にも正しいと思える考えだと言えます。

 天動説の場合は、地球上から空を見上げて、東から太陽が上がり西に沈んでいく様子を見て、当時は地球は動かないと考えるのが自然だったと思います。現在の様に宇宙から地球を見る事など、想像もしなかったでしょうから。

 陰陽道おんみゃうだうは、律令制と言いますから、大化の改新以降に国の管轄下に置かれた『陰陽寮』と言う組織で、天文現象を読み解く技術を持っている人を管理するために作られたようです。

 中国から伝わったのは、陰陽五行思想で、その他の『天文、暦、時、易』などの自然観測が合わさって、自然界の変化から人間界の吉凶を占う技術、陰陽道おんみゃうだうが誕生することとなります。

 平安時代中期には、賀茂、安倍両家の人が、要職を占めるようになり、安倍の子孫は土御門つちみかどを、賀茂の子孫は幸徳井こうとくいを姓とし、特に土御門つちみかど家が陰陽道の長として代々勢力を保って近世に及んだとされています。現在、映画の影響か、安倍晴明あべのせいめいが有名ですが、この人が安倍家の始祖とされている記述もありました。

 さて、この陰陽道おんみゃうだうでは、赤舌日しゃくぜつにちを悪い日としていないと、兼好法師が言っています。

 にも拘らず、兼好法師の時代では、吉凶が現在のように先勝せんしよう・友引・先負せんぶ・仏滅・大安・赤口しやつこうとカレンダーに書かれてあるように、日によって吉凶があると巷では言われていたのかも知れません。

 この俗信を否定する目的で、この第九十一段を書かれた事は、勇気のある執筆だったと思います。天動説が自明であった時代に地動説を称えるのと同じ事だと思います。

 ただし、陰陽道おんみゃうだうを持ち出して、俗信を否定する理由にした所は、当時はどうであったか分かりませんが、現在の人には説得力の無い説明だと思いました。

 陰陽師おんみゃうじは、現在は天文学者であり占い師、占星術師と言えば良いのかも知れませんが、現在の天文学とは全く違いますし、星の動きを見て、天の啓示とする事も、赤舌日しゃくぜつにちを俗信だとする事と同じ事だと私は思います。

 天動説が信じられていた時と同じで、陰陽道おんみゃうだうも信じられていたのでしょう。今も占星術は、一つの可能性として、予測としては、数学的な根拠があると思います。

 ただ、兼好法師が「無常變易へんやくの境」すなわち、「諸行無常の世の中」を持ち出して、この吉凶を否定すると、陰陽道おんみゃうだうをなぜ信じているのか疑問に感じてしまいます。

 日本に伝わって陰陽道おんみゃうだうという学説になったものは、諸行無常という真理の追求ではなく、統計学や臨床実験と同じで、確率の上から判断すると、起こる可能性が高い事を言っているのだと思っています。

 私に読み解く力が無いからかも分かりませんが、この文章に矛盾を感じている部分があります。

吉日きちにちを選びてなしたるわざの、末通らぬを數へて見んも、亦等しかるべし。

 その故は、無常變易へんやくの境、ありと見るものも存せず、始めあることも終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定ふぢゃうなり。ものみな幻化げんげなり。何事かしばらくも住する。この理を知らざるなり。」

 吉日にやっても上手く行かない数と、凶日にやっても上手く行かない数が同じようなものだと言っています。
 吉日にやって上手く行かない数と、凶日にやって上手く行かない数の統計でも取ったのでしょうか。根拠も示さないで、どうしてその数は同じようなものだと言えるのでしょう。

 その理由に、「ありと見るものも存せず、始めあることも終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定ふぢゃうなり。ものみな幻化げんげなり。何事かしばらくも住する。」と言う事を挙げていますが、この文を読んで納得するには、相当に曲解しなければ出来ないと思います。

 理由として書かれてある文章は、私にはかなり難解です。面倒ですが、一節ずつ解読してみます。

1.【ありと見るものも存せず】これは、般若心経と同じ見解を述べていると思います。ようするに、色即是空の世界観です。
2.始めあることも終りなし。これは、私には解読できませんでした。無常變易へんやくの境との記述が先にありますが、変化がある事は、十分に理解できます。諸行無常と言う事だと思います。しかし、始まっても終わりがないとは限らないと思います。この無常變易へんやくの境であれば、尚の事変化し続けるのですから、終わりが無いように見えるだけで、それもまた分からないのが無常の世界だと思います。ただ、いつ終わるのかは分からないだけです。
3.
志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定ふぢゃうなり。】の部分では、志は遂げられない場合も、遂げられる場合もあると思いますので、断定するべきではないでしょう。
 次の望みは、人間の欲ですから、とんじんと言われる三毒さんどくについて言っています。人の心の不定な部分で、その為に悟りを開こうと努力するのです。

 この1.~3.を、吉凶何れの数も同じようなものだとする理由にするには、少し無理があると、私には思えました。

 『「吉日に惡をなすに、必ず凶なり。惡日あくにちに善を行ふに、かならずきつなり」といへり。吉凶は人によりて、日によらず。』とある原文も、最後の部分は納得できますが、「」で括られた文章には矛盾を感じてしまいます。

 確かに、「吉凶は人によりて、日によらず。」とは思います。それも、人によりてではなく、人の行いにより、と言った方が良いと思います。

 しかし、こんなことは社会で許されない事ですが、悪い事をすれば、必ずその人が凶になるとも思えません。また良い事をしたからと言って、吉になるとも限らないから、「無常變易へんやくの境」と言われるのだと思います。

 兼好法師の時代では、自明であった事も、現在では矛盾の中で生活が行われているのが実態で、もしかしたら、あなたの隣にいる人が、犯罪者かも知れません。

重要犯罪の検挙率、19年ぶり8割超え

【日本経済新聞2018年10月20日(土)】
警察庁(2018/1/18 10:40)によると、全国の警察による2017年の刑法犯の検挙件数は前年比3.0%減の32万7105件で、検挙率は1.9ポイント増の35.7%にとどまった。
ただ、殺人や強盗などの重要犯罪に限ると検挙率は80.3%に達し、19年ぶりに8割を超えた。 検挙率は1950年代から80年代後半にかけて5~7割台で推移してきた。だが、90年前後から低迷し、2001年に過去最悪の19.8%を記録。改善傾向にあるものの、以前の水準を回復していない。

【参考資料】
[世界の宗教まとめ] URL:https://buddha-christ.com/2017/12/02/陰陽道とは何か分かりやすく解説【陰陽師の真実/
[陰陽寮]出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[陰陽]出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』