文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【65】

 今日の文字は『車』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第六十四段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
 今日は三連休の最終日、車でお出かけの人は、家に着くまで気を抜かないよう。気を付けて下さい。

 私が車に乗っている時は、遠くに出かけた時は、自分のテリトリーに帰って来た時に、気持ちを引き締めて帰路に着くようにしていました。

 すでに、免許証の更新をせずに、今は車も持っていません。車を運転する事はありませんが、車に乗らなくなって良かったと思っています。

 歳に合わせた生活をするべきだと思います。人に迷惑をかけないからだと、実感しています。「老いては子に従え」と言いますからね。

 そして、今日は孫の誕生日です。私の誕生日も祭日ですが、今日は秋分の日の振り替え休日だそうです。と、誰でも知ってますね。私は、孫の誕生日だから祭日なのかと思っていました。

 もう、一年生になりました。成長が早いですね。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第六十四段 〔原文〕

 「車の五緒いつゝおは必ず人によらず、ほどにつけて、極むるかんくらいに至りぬれば、乘るものなり」とぞ、ある人仰せられし。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『  「 五緒いつゝおの飾りのついた牛車ぎっしゃは、必ずしも優れた人が乗るものではなく、家柄によって決められた最高の地位に達してしてから乗るものだ」、とある人が言われた』

 

 

『車』

 「とある人」って誰やねん! と、突っ込みを入れたくなりますが。まるで、遺留捜査(テレビ番組)の糸村刑事ですが、徒然草には、よくこういう言い方が出てきます。

 こんな場合は、糸村刑事のように、

 本当は自分が言いたい場合、
 名前を出すと差し障りがある場合、
 本当に誰が言ったのか分からないけど、伝わっている言葉、
 
 だと思いますが、さて、この場合はどれに当てはまるのでしょうか。

 ここで言う「車」は、牛車ぎっしゃの事で間違いないと思います。当時はエンジンの付いた車は走っていなかったでしょうから。

〔権威〕

 しかし、馬車もあったと思いますが、日本で牛車は、平安時代から 貴族の一般的な乗り物であったことが分かっています。

 しかも、機能性はともかく、乗る人の権威を表すため、色々な装飾が為された、と、誰かが言っていました。

 五緒いつゝおと言うのもその装飾の一つで、簾を編む糸の事を指しているのでしょう。

〔ステータス〕

 現在では、車がステータスでは無さそうですが、私が若かったころには、車は相当のステータスだった時代があります。

 牛車のように、飾りで権威を現わすと言う事もありませんが、昭和40年頃までは、家に車がある事は、相当に裕福でなければ持つ事が出来ませんでした。

 その前は、テレビです。当然の事のように電化製品は買うものではなく、家に来る物だったようです。

 掃除機が来た。
 冷蔵庫が来た。
 そしてテレビが、カラーテレビが家にやって来た時代があったのです。

 そして、車の時代がやって来たのです。

 誤解を避けるために、言っておきますが、実際には買うのですよ。って、誰も誤解しませんよね。蛇足でした。

 懐かしいですね。私が一番初めに買った車は、N360と言うホンダの軽自動車です。学生時代ですから、当然中古車ですが、毎日車体やタイヤを磨いて、ついにエンジンまで下して掃除をしました。

 エンジンを下ろして掃除したのですが、50m程ゆっくり動かしたところで、ドカンと音がして、車が止まりました。ボルトを締め忘れていたのでしょう。エンジンが落っこちてしまっていました。

 詳しい事はもう覚えていませんが、汗まみれになって修理した記憶だけが残っています。

 不思議にエンジンを持ち上げ、ボルトを締め直して、そのままずっと走行していたのですから、今考えると怖い話ですね。

 その車で、東京から大阪まで帰って来たのですから。無謀と言えば、凄く無謀な事をしたものです。

 そのN360は、ミニクーパーをモデルにして出来た車ですから、私が最後に乗っていた車が、まったく気が付かなかったのですが、BMWのミニクーパーSと言うのも、何かの縁でしょう。

 ステータスとなると、軽自動車ではありません。

 義理の兄は、会社を経営している親の子で、その会社には昭和天皇が見えられたことがあったと聞きますから、相当の金持ちだったのでしょう。

 中学校に上がるまでは、ベンツで送り迎えされていたと、聞いています。このベンツはいまでも、ステータスかも知れません。

 今では、ベントレーやBMW、アウディが有名ですが、日本車ではレクサスなども、アメリカ映画ではステータスのある車として扱われています。

〔身の丈〕

 ここでは、身の丈に合った物を持つと言う意味だと思うのですが、分相応と言いますか、人は自分でも知らない間に、背伸びをしてしまうのでしょう。

 私がこのブログで何度も言っていますが、「足るを知る」事が、背伸びをする事無く、 姑息な生き方をせずに、堂々と生きる方法だと思っています。

 既に隠遁生活を余儀なくされていますから、「足るを知る」と言うよりも、満たされていると言った方が良いかも知れません。

 要するに、人と接する事がないと、人間は生活する以外には、ほとんど出費するものは、無いと言う事でしょう。それでもお金はいりますが。

 また、「身の丈にあった物」を持つと言う事は、人から真面まともに扱われると言う事です。「身の丈に合わない物」を持っていると、馬鹿にされる事になります。「無理して」とか「似合わない」とか、人は意外と人の事は分かるようになっています。

 自分の事は、横に置くのが、上手なのでしょう。自分の事はさておいて、人の事は、とやかく噂にします。

 いったん、悪い風評が経ってしまうと、取り返すのに大変な労力がいります。なるべくなら、そんな努力はしない方が良いと思います。

〔家柄〕

 と、ここまでは、現在で考えられる読み解きをしましたが、ちょっと、この段は違っています。

 何が違うかと言うと、家柄によって、その最高の地位が決められていると言う所が、現在とは違うのです。

 ですから、「身の丈に合った物を持つ」と言う部分は当たっているのですが、努力しても、その地位にはなれない時代だと言う事です。

 そして、この 五緒いつゝおの飾りも、確かに平安時代には権威の象徴であったのですが、余りにも豪華な装飾になり過ぎ、一時乗車を禁止された時期もあるとか。

 ここで言われている、家柄に応じて 五緒いつゝおの飾りのある牛車に乗るのは、その飾りが家柄を現わしているのだと、見るのが正しいと思います。

 ですから、 五緒いつゝおの飾り以外にも牛車自体の造りも、辞書によりますと、

「主に平安時代、牛にひかせた貴人用の車。屋形の部分に豪華な装飾を凝らしたものが多く、唐庇からびさしの車・糸毛の車・檳榔毛びろうげの車・網代あじろの車・八葉の車・御所車などがあり、位階や公用・私用の別によって乗る車の種類が定められていた。うしぐるま。ぎゅうしゃ。」
(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 と色々な物が作られていたようです。

 現在のような、平等の時代では無かったのですが、それを外から見ても分かるようにしたのでしょう。

 お坊さんでも、悟りを目指す人のように、地位や名誉に関係のない人の場合は着る物も拘る必要もないと思いますが、宗派と言う組織になりますと、袈裟の色や形でその位を現わしている場合もあります。

 残念ながら、見た目で判断してしまうのは、今も昔も変わらないのでしょう。