文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【64】

 今日の文字は『備』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第六十三段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
 今朝、MSNニュースを見ていて、

「石原さんとしては、舞台経験も重ねて、“演技力でも私が上”という自負もありますが、綾瀬さんは出演するドラマがことごとく当たるので、忸怩たる思いがあるのではないでしょうか」(芸能関係者)」

 という内容が書かれてある、NEWSポストセブンと言うコーナーがありました。

 私も、以前はこの「忸怩たる思い」をここで書かれてあるような意味として捉えていました。

 あるとき、何がキッカケか忘れましたが、「忸怩たる思い」を辞書で引いて見た事があります。

 「自分のおこないについて、心のうちで恥じ入るさま。 「内心-たる思いであった」 「 -たらざることを得ない/渋江抽斎 鷗外」」
 (出典:大辞林第三版 三省堂.)
 
 さて、どこがちがうかと言いますと、上の芸能関係者が「忸怩たる思い」と言ったのは、あくまでも「悔しい思い」をしていると、言いたかったのでしょう。

 最近、この言葉を国会議員の人が使っていました。実に見事に正解でした。国会議員の中には、漢字を読めない私のような人もいますが、この国会議員のように、正しく日本語を使ってくれると気持ちが良いですね。

 それにしても、芸能関係者とは書いてありますが、記事を書いているのですから、ジャーナリストと推測できます。であれば、言葉を扱う仕事だと思います。誤用はさけるべきでしょう。

 そう言えば、少し前になりますが、体操の塚原光男氏とMCの加藤浩次さんの対談を紙面で紹介していましたが、ここでも、間違った日本語が使われていました。

 よく、間違う人がいますが、「喧喧囂囂けんけんごうごう」と「侃侃諤諤かんかんがくがく」を混ぜて、「喧喧諤諤けんけんがくがく」と言う人がいます。ここでも、塚原光男氏が平然と「喧喧諤諤けんけんがくがく」やっていますと、何度も繰り返した言葉が掲載されていました。

 しかし、この「喧喧諤諤けんけんがくがく」と言う言葉が、今では辞書に載っているではありませんか。

 「《「けんけんごうごう(喧喧囂囂)」と「かんかんがくがく(侃侃諤諤)」とが混同されてできた語》大勢の人がくちぐちに意見を言って騒がしいさま。「喧喧諤諤たる株主総会の会場」」
 (出典:デジタル大辞泉 小学館.)

 ちなみに、「喧喧囂囂けんけんごうごう」とは、
 「大勢の人がやかましく騒ぎたてるさま。」
 (出典:デジタル大辞泉 小学館.)
 そして、「侃侃諤諤かんかんがくがく」は、
 「正しいと思うことを堂々と主張するさま。また、盛んに議論するさま。」
 (出典:デジタル大辞泉 小学館.)
 この二つの言葉は、真逆の様子です。

 塚原氏が言いたかった事は、「侃侃諤諤かんかんがくがく」と話の内容からは推測できます。加藤さんがこれを受けて、同じように「喧喧諤諤けんけんがくがく」と言ったのは、皮肉でしょうか。それは分かりません。

 しかし、何でもみんなが使っているからと、辞書に載せてもよいのでしょうか。

 私は、なんとも釈然としない、「やる方ない」気持ちがします。

 この「釈然としない」、「やる方ない」と言う言葉が、私が「忸怩たる思い」を間違って覚えていた、代わりの言葉として、今このブログでも使っています。

 ちょっと、先述の「悔しい思い」とは、主旨が違いますが、自分ではどうしようもない、鬱積した気持ちを表す言葉として選びました。

 「やるせない」も同じような気持ちを表す言葉ですが、この場合はどちらかと言うと、悲しみが介在している気持ちの時に使う方が、伝わりやすいと思います。

 まぁ、こんなことをぐちぐち言っていても始まりません、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第六十三段 〔原文〕

 後七日の阿闍梨、武者を集むる事、いつとかや盜人に逢ひにけるより、宿直人とのいびととてかく ことごとしくなりにけり。一年ひととせの相は、この修中に有樣にこそ見ゆなれば、つわものを用ひんこと、穩かならぬ事なり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『後七日の阿闍梨あじゃりが、武者を集めている。前に泥棒に入られ、留守番の人もたいそう用心深くなった。
 
 一年の吉凶は、この行事に表れると言う事なので、警護のため兵を使うことであるが、それほど世の中が穏やかではないのだ。 』
【参照】
後七日:陰暦の正月八日から十四日までの七日間。宮中で修法(ずほう)(「後七日の御修法(みずほふ)」)を行う。宮中での神事が行われる正月一日から七日間の「前七日」に対していう。
(出典:学研全訳古語辞典 学研.)

阿闍梨あじゃり:〔梵 ācārya の音写。軌範師・教授・正行などと訳す。「あざり」とも〕〘仏〙
(1) ァ)密教で、修行が一定の段階に達し、灌頂かんじようを受けた僧。
      ィ)日本で、真言・天台両宗の僧に与えられた職位。
(2) 修法を執り行う僧。 「修法始めむと仕れば、-にまうでくる人もさぶらはぬを/大鏡 道隆」
(3) 密教系の僧に対する敬称の一種。
(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 

 

『備』

 「備えあれば患いなし」の通りの事をしたまでだと、思うのですが、この徒然草に書かれてあると言う事を考えると、この行事は、余程大切なものであったと思われます。

 行事と書きましたが、阿闍梨あじゃりが登場しますので、仏事だと思います。

 「いつとかや盜人に逢ひにける」とありますので、この時代にしては珍しい出来事のように思います。

 犯罪は、田舎でも都会でも起こる時は起こりますが、やはり田舎の場合は、隣近所が知り合いで、見ず知らずの人が村に入って来ただけでも、分かるように聞きます。

 ですから、田舎では戸締りを、あまりしなくても良いと、聞いたことがあります。

 大阪に住んでいますが、昔は隣近所に誰が居て、どんな事をしているか、みんなが知っていました。ですから、泥棒はいたのですが、容易には人の家に黙ってはいる事は出来なかったようです。

 しかし、今は特にマンションに住んでいると、同じ階にどんな人が住んでいるかも分かりません。まして、階が違うと、全く分かりません。

 それが、マンションに住むメリットであり、デメリットとも言えるでしょう。

  一軒家の場合も、両隣、向かいの家の事は分かっていても、新しい人が引っ越してこられても、引っ越しの時だけは顔を合わせますが、ほとんど付き合いがありません。

 だんだんと、人づきあいが少なくなっていると思います。

 人づきあいが少なくなればなるほど、犯罪は多くなるようにも思います。

 この段の場合は、泥棒ですが、警備という事になると、犯罪だけではなく、人が多く集まる場合は、人を整理する事も必要になります。

 花火などでは、余りに人手が多くなり、来年からは中止すると言うようなニュースも見ました。財政難と言う事もありますが、人出を整理できない事も要因のようです。

 しかし、この段の場合は、武者を警備に当てたと言う事は、力づくで何かをしようとする事を阻止しようと思ったのでしょう。

 兼好法師は、鎌倉時代の末期から室町時代の初めに生きた人ですが、この話が、鎌倉時代の末期なのか、室町時代に入ってからなのかも、定かではありません。

 ここで、兼好法師が徒然草に書いた、この出来事がいつの時代の事か、不思議に思いました。

 前にも、強盗にあった「強盗法印」と言うあだ名を付けた僧侶の話がありました。しかし、それを私は治安の悪い地域と解釈しました。

 現在なら、これほど国にとって重要な行事の場合は、当然警備体制を厳重にする所でしょうが、この時代はそうでもなかったようです。

 しかし、この徒然草の段は、「実は、保元の乱の時代」
(出典:URL〔http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure050_099/turedure063.htm〕)
 との記述がありました。

 保元の乱と言うのは、平安時代末期の保元元年(1156年)の事ですから、兼好法師が生まれる、130年程前の話を、この段で語っている事になります。

 「実は、保元の乱の時代」と書かれた根拠は、「治安が悪く、盗賊が徘徊したので武士に警護されながら行った時代があった」と言う事です。

 私の解釈は、少しこの引用文とは違うように考えました。その理由は、「いつとかや盜人に逢ひにけるより」と原文にあるように、「いつかは不確かな」時機を「いつとかや」で表していますので、随分前の事を指していますが、果たして、130年も前の事でしょうか。

 そこで、仮に、引用した「実は、保元の乱の時代」が正しい事実であったとすれば、その頃から、後七日の仏事には、 兵を警護にあたらせる習慣になったと解釈する事が出来ると思います。

 このように習慣になったと解釈したのは、前々回、第61段に書かれてあった「御産」(高貴な人のお産)の時の風習を思い出したからです。徒然草を読んでいますと、今までの段では、結構、話しに繋がりがあったり、前の話に繋がるような書き方をしている段もあると思ったからです。

 徒然草には、書かれた内容がいつの時代の事を言っているのか、よくわからない場合があります。

 私なども、よく気が付いた時にメモをするのですが、特に空手に関係する事で、これは役に立つと思った事をメモしておきます。いつも思うのですが、そのメモには、日付が書かれていませんので、いつだったか分からなくなります。内容によっては、日付が大切な場合もあります。

 また、日付が書いてあっても、年が抜けていると、後で整理のしようが無くなります。私はよく、自分の稽古のためのカリキュラムを書くのですが、これは、学生の頃からの習慣です。

 私が通っていた大学の手帳には、色々空手に関することや、カリキュラムが書かれているのですが、大学の頃と言うのは分かりますが、今となっては、日付も年月も分からないままです。

 まぁ、そんなに大したことは書いていないのですが、今考えると年月日は書いて置いた方が良さそうです。

 徒然草も、時代を映し出す資料として、現在は評価されていますが、余程この引用した先の人のように歴史に詳しい人でないと、理解ができないと、思います。

 しかも、詳しい人であっても、読み方によっては、誤解を招いてしまいます。

 前回も書きましたが、俳句の夏井いつき先生が言われるように、たとえどのように解釈しても良いとしても、時代くらいは、作者が限定してほしいと思います。