論語を読んで見よう
【先進篇11-17】
[第三十三講 冉有-善良な有能者の不正]

 不正と言うのは、今に始まった事ではないのですね。2500年もの永い時を経ても、人の欲望は変わる事がありません。

 金銭的な欲望から、精神的な欲望まで、求めればキリが無いほど世の中は欲望の渦に巻き込まれているようです。

 国と国であっても、小さな組織であっても、何か問題が起こるのは、金銭的な欲、あるいは名誉など地位に対する欲、なぜ「足る」事を常識にしないのでしょう。
 僅かな人生を、欲にまみれて暮らしても、幸せと言えるのでしょうか。私には理解する事ができません。

 今回は、そんな欲を持った人の下で仕えるために、何をすべきかが問題になっています。

 『論語』の読み方は人それぞれだという事が、分かりかけて来ました。では読んで見たいと思います。
●白文
『季氏富於周公、而求也為之聚斂而附益之、子曰、非吾徒也、小子鳴鼓而攻之、可也』。
●読み下し文
季氏きし、周公より富めり。しこうしてきゅうやこれが為に聚斂しゅうれんしてこれを附益ふえきす。子のたまわく、に非ざるなり。小子を鳴らしてこれを攻めてなり』。【先進篇11-17】

 このままでも、読めない事はありませんが、少し背景が分かるように意訳して見ましょう。
 『季氏きしと言うのは、前に登場していますが、当時の魯の国の実権を握っていた政治家です。その季氏きしの言いなりに冉有ぜんゆう(求)は税を厳しく取り立てて季氏きしが私腹を肥やすのに手を貸している。冉有ぜんゆう(求)は、もう私の弟子では無い。みんなは罪を言いふらして責め立ててもよい』

 ここでも、私の天邪鬼あまのじゃくの虫が騒ぎます。
 孔子は、雍也篇6-8で、冉有ぜんゆう(求)を政治に向いていると評価し、その冉有ぜんゆう(求)が季氏きしの意のままに仕事をして、ここまで非難されるべきでしょうか。

 孔子の考えは、例え、悪行をしている権力者の下でも、自分の努力によって善行に変える事ができる言う、自負があるものと思います。ですから、陽貨篇17-5にも、陽貨篇17-7にも、反逆者からの誘いに乗ろうとします。それだけ、自分の能力に自信があり、朱に交わっても赤くならない自信があったのでしょう。

 であれば、子路13-18の言葉は、どこに言ってしまったのでしょう。忠孝の間にこそ正直さがあると説いています。この場合は、例え罪を犯した父であったとしても、隠す事が正直者だと言っているのです。

 孔子の言葉は、人を見て法を説けと同様、その時その時の状況に合わせて、やるべき判断が違うと言いたいのでしょうか。それでも、矛盾が多すぎると思うのですが。

 私の希望としては、『冉有ぜんゆう(求)は有能な人であるが、季氏きしの悪行の方が勝っているのだろう。折角の冉有ぜんゆう(求)の能力が活かされない。季氏きしの下を去るべきかも知れない。もし冉有ぜんゆう(求)が私の下に戻ってきたら、みんなで快く迎えてやろう』
 あるいは、『冉有ぜんゆう(求)の力はまだ季氏きしの悪行に勝る事ができない。もう少し彼の努力が季氏きしに届くまで待ってやろう』
 又は、『冉有ぜんゆう(求)の力は季氏きしの悪行を諫める事ができないようである、諫める方法を考えてやろう』 

 雍也篇6-10に『冉求曰 非不説子之道 力不足也 子曰 力不足者 中道而廢 今女畫』『冉求ぜんきゅうわく、みちよろこばざるにあらず。ちかららざるなり。わく、ちかららざるものは、中道ちゅうどうにしてはいす。いまなんじかぎれり』。と言うのがあります。
 ここで孔子は、挫折しかけている冉有ぜんゆう(求)に対して、努力が足りない、道半ばで自分で判断して諦めている。と励ましています。

 もちろん、時系列の関係が定かではありませんが、途中で諦めてはいけないのは、孔子ではないのでしょうか。

 自分に置き換えて、この事を考えて見ます。もし冉有ぜんゆう(求)の立場であれば、上司に対して改善するよう、色々な策を講じるでしょう。でも上司が気付かない場合、結局はその権力に屈し、その組織から離脱する事になるでしょう。ですから、10回も職を転々としてきました。もちろん、そんな理由ばかりではありませんが。
 ここで、なぜ諦めるのかには、私なりに理由があります。私が改善しようとしている事が、組織にとって良いか悪いかは、私が決める事ではないと思うからです。
 もし、反発する相手が、社長の場合、その社長の会社であるという事です。その社長の思いがあって会社は成り立ってきました。その辺が、国に対する考えと違う所です。国は、主権在民と憲法で保障されています。

 では、孔子の立場になって、考えて見ましょう。一応私も先生と呼ばれて、45年の月日が経ちました。私は弟子に「先生と呼ばれる程の馬鹿でなし」と言った事がありますが、それを真に受けて、葉書に「様」と書いてくる人もいます。それは「私のとはちがうな」と、テレビドラマのセリフが出てきます。
 私は年長の先輩に対しても、敬称は先生と書きます。それは、様では気持ち悪いからです。「礼」とは、そんな気持ちを表すものだと思います。

 話が横道にそれましたが、先生の立場で、弟子を教育する事は可能か、と問われた場合、私は「出来ません」と答えるでしょう。
 ですから、私は成長したり、強くなった結果は、その人の努力によるものだと思っています。これはいつも道場の上に立つ者には言っています。45年間変わらない考え方です。
 先生と言う立場から出来る事は、その人が成長するのを手助けする事、環境を整えてやる事、そして方向を示してやる事。その程度の事しかありません。

 ここで、先ほどの敬称とも関係するのですが、先生から弟子にしてやれることは、直接的には無いと言っても良いでしょう。しかし、弟子である者は、先生への尊敬の念と感謝を忘れてはなりません。矛盾しているようですが、そんな関係が師弟であると思っています。
 理由は簡単な事です。教育と言うのは、一方通行では「馬の耳に念仏」になってしまうからです。

 私は、今でも先生、両親に対して尊敬する心を忘れないようにしていますし、感謝の気持ちでいっぱいです。もちろん、時すでに遅しで、「親孝行したいときには親はなし」、先生に対しても同じです。

 弟子に対しても、常に何か出来る事があればと思いますが、「無い袖は振れない」状態が続きます。経済的には出来ませんが、ブログやホームページを作るスキルは、たまたま持っていますので、日々何かの足しになればと、書いています。
 先生が弟子に対してしてやれる事は、生き方を示す以外にはないと、思っています。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.