論語を読んで見よう
【子罕篇9-6】
[第十四講 下積みの若き日々]

 孔子も人の子、子供の時も、若い頃もあったでしょう。そんな若い頃を知る事ができるのが、この講にあります。

 だれでも人間であれば、生まれながらに聖人と言う分けには行きません。釈迦が生まれてすぐに、「天上天下唯我独尊」と言ったと言う伝説がありますが、釈迦の生まれ育ちは、正しいかどうかは分かりませんが、歴史上の人物として明確に記されています。

 孔子は、仕官してからも色々末端の仕事をしていて、仕官する前はどのような仕事についていたか分かりませんが、この講では、自分で多能であると言っています。しかし、この多能である事を自慢して言っているのではない事は、
文章から明らかになると思います。

 さて、今回は聖人と言われた人の、若き日の姿を想像しながら、『論語』を読んで見たいと思います。
●白文

『大宰問於子貢曰、夫子聖者与、何其多能也、子貢曰、固天縦之将聖、又多能也、子聞之曰、大宰知我者乎、吾少也賤、故多能鄙事、君子多乎哉、不多也』。
●読み下し文
『大宰(
たいさい)、子貢(しこう)に問いて曰(いわ)く、夫子(ふうし)は聖者か。何ぞそれ多能なる。子貢曰く、もとより天縦(てんしょう)の将聖(しょうせい)にして、また多能なり。子(し)これを聞きて曰(のたまわ)く、大宰、我を知れる者か。吾、少く(わかく)して賤(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子、多ならんや、多ならざるなり』。(子罕篇9-6)

 この文章も少し現代風に訳して見る事にします。
 『大宰(参考文献には呉国の大臣とあります)が、子貢に問います。孔子は聖者と言われていますが、それにしても有能な人ですね。子貢はこれに答えて、もちろん天が許した偉大な聖人でしかも多能です。と答えた。これを聞いた孔子は、大宰と言う人はよく私の事を知っているのでしょう。私は若い頃は身分が低く、そのため色んなつまらない事が出来るようになった。君子は多芸多能である必要があるのか、いや必要はないだろう。』

 もしも、孔子が多芸多能について、本当に蔑んで鄙事(つまらない事)と言っているとも思えません。この事をもって実務軽視と見るのは、孔子の言わんとするところを、曲解しているのではないかと思います。
 孔子自身も弟子と同じで、「君子」に目的を定めて修行の身と思っていたのだと思います。「徳」などというものは、求めて終わりのあるものではありません。ですから、そのような目的からすれば鄙事と言って、多芸多能である事を自慢にもならないと、思ったのだと思います。目的が違うのですから。

 今からすでに30年以上も前の事ですが、私の友人と話をしている時に、彼が私に聞きました。「何が出来る」と。私はあれもこれもと、出来る事はすべて話をしました。彼が一言「刺身のつま、やな」(大阪弁)。彼は中小企業ではあるものの、結構大きな会社の社長でした。残念ながら20年程前に他界してしまいました。
 私は「刺身」なるものが、未だに分らないから、社長の器ではないのでしょう。前にも書きましたが、人から「器用貧乏」と言われる事も度々です。ですから、今でも経済的には恵まれていないのでしょう。

 前回も書きましたが、目的が違うと思うのです。決して友人も私が多芸である事を貶(けな)した分けではありません。経営というものには、経営に適した手腕、能力あるいは、先を見通す力、が必要で、私の言ったような、多芸多能である必要はない事を、示唆したのでしょう。
 そう言えば、彼は、「風が吹かんと、あかんねん」と言っていました。彼には、その風を読む能力があったのかも知れません。

 私は未だに「君子」でもなければ「将」でも「経営者」でもありません。ですから、逆から理論展開してみましょう。

 私は農業には疎いですから、今まさに習得中のお習字を例に考えて見たいと思います。
 お習字を習得するためのカリキュラムは、まず座り方から筆の持ち方、筆、硯、墨、紙など、用途に合わせた選び方を覚えます。
 次に、文字を書きますが、これには色々な方法がありますが、一般的にはお手本を見て、その通りに書く練習を繰り返します。その中で時代に応じて字が上手いとされた、三筆などと称された人が遺したものを臨書します。
 そして、紙の選び方や筆の選び方、あるいは筆の運び方、墨の付け方などが身に付いたら、自分の創作した文字を書きます。
 この段階まで来ると、人から上手い字だと褒められる事もあると思います。
 もちろん、この上は限りなく深い遠い道になります。書道と言われるものです。
 ここまで来るのに、ある人は一生を費やす事でしょう。私が未だに空手道の奥義に達して居ないのと同様に。

 如何に上手に字を書けても、上手な字を書ける人に過ぎません。もちろん、道ですから、精神的にも色々得られる事があると思います。
 だからと言って、「徳」のある人や「将」あるいは、「経営者」になる事ができるでしょうか。

 もっと分かりやすい事例を示しましょう。100メートルを9秒で走れる人がいるとします。一芸に秀でた人です。この人は、100メートル泳いで世界記録を出せるでしょうか。また、柔道で金メダルを取る事ができるでしょうか。今までの歴史では見つける事が出来ません。もしいたとしても、一芸が二芸に、そして多芸になるだけです。

 よく言われる言葉が、「名選手必ずしも名監督にはあらず」と言われることがありますが、これは、コーチにしても、スポーツ団体の長でも同じです。中には優れた管理能力のある人もいますが、専門的な能力とは別に管理能力も持ち合わせているだけで、何かが卓越した能力を持っているから、将としての能力も持っている、すなわち「一芸に秀でる者は多芸に通ず」は、多芸に通じる事もあるだけであって、「徳」など「人格」に関わる事と、直接的な関係はありません。

 孔子は「徳」と言うものが、国を治め人に幸せをもたらすと確信したのでしょう。ですから思想であり、主義なのです。孔子は決して多能多芸を非難しているのではなく、「君子」を求めるのであれば、多能多芸は道が違うと言いたいのだと思います。

 この考え方は、私とは違います。私は、一芸に秀でる努力の過程で、「道」と言う「人格」に関わる「徳」を得る方法を、生み出すべきだと思っています。
 私は、懸命と言う修行の過程から、自らの心を観る事ができると思っています。そうすれば、私が言う『髓心』に巡り合います。それが孔子の言う「徳」であり「人格」に相当するものだと思っています。
 しかし、一度は巡り合った『髓心』ですが、古希を過ぎても、定着する事がありません。『分け入っても 分け入っても 青い山』(種田山頭火句)が終着点かも知れません。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.