論語を読んで見よう
【八いつ篇3-15】
[第十五講 故郷への愛憎]

 「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」、一度は耳にした言葉だと思います。「逃げるははじだが役に立つ」(テレビドラマ)ではありません。

 私は会社にいた頃、時々部下にこの言葉を使いました。ただ、私が強調したのは、「一時の恥」である事を胸に刻んで、聞くように言いました。恥ずかしさを乗り越えて、聞く人の身になれば、傷口に塩を塗るような言い方です。

 なぜ、恥である事を強調する必要があるかと言いますと、最近の学校教育のせいか、全てが与えられるようになっていて、教えてもらう事も当たり前になっているからです。お金優先が過ぎて、お金を払っているから、部下だから、弟子だから、教えてもらうのは、当たり前の世の中になってしまったのだと思います。

 そう簡単に手に入れたものが、身に付く道理はありません。苦労して手に入れるから愛着も沸くし、放したくなくなるのです。知識も同じです、簡単に手に入れてしまうと、身に付かないどころか、上辺だけの知識になり、例えば試験が終わったら、すっかり忘れてしまうようなものです。

 知識だけではありません。技術も教えてもらうより、人のやり方を観て、腑に落ちた時、痛い思いをして、身に染みて覚えた技術は一生忘れる事はありません。
 空手道でも、見取り稽古の大切さを十分に考える事だと思います。大切なのは、気が付き、腑に落ち、合点がいく事です。

 この講では、そんな「一時の恥」を孔子は、どのようにしたのでしょう。

 まず、『論語』を読んで見たいと思います。
●白文

『子入大廟、毎事問、或曰、孰謂〔すう〕人之知礼乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是礼也』。
●読み下し文
『子、大廟(たいびょう)に入りて、事ごとに問う。あるひと曰(いわ)く、孰(たれ)か〔すう〕人(ひと)の子(こ)を礼を知ると謂(い)うや、大廟に入りて、事ごとに問う。子これを聞きて曰(のたま)く、是(これ)、礼なり
』。【八〔いつ篇3-15】

●環境依存文字
〔すう〕
〔いつ〕

 内容は、孔子が初めて大廟に入った時の事を書いています。孔子は初めて廟に入れましたから、物珍しく、見る物、触る物すべてに興味深く、手当たり次第に聞いていました。すると、一緒に入った者が、「誰が〔すう〕生まれの人である孔子が礼を知っているというのか、大廟に入っても知らない事ばかりだ。」と、からかったのです。孔子はこれを聞いて、これが「礼」であると言った。という話です。
 大廟とは「1)天子・諸侯の始祖を祭るみたまや。宗廟。2)伊勢神宮の異称。」(出典:デジタル大辞泉 小学館.)とありますから、その中にある物は、祭礼に使う品物を想像する事ができます。

 『現代人の論語』の題名が「故郷への愛憎」となっていますが、この文章からそこまで考えるのは、どうでしょうか。確かに孔子の生まれは、子罕篇9-6で言われている事が正しければ、子罕篇9-6に『吾少也賤、故多能鄙事』とあり、『孔子が少く(わかく)して賤(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり』。と言ったとされていますので、貧しい家庭で育ったようです。当時は貧しい事を賤しいと言ったのでしょうね。それでも、孔子は下級武士の子、(出典:日本大百科全書(ニッポニカ) 小学館.)とされていますが、孔子の言う通り、生活は貧しかったのでしょう。賤しいと言っていますが、身分制度とは関係がなく、単に貧しい生活であった事を言っているのだと思います。

 何も、生まれた故郷を恨む事は無いと思いますし、特に春秋時代と言うのは、下克上の時代ですから、身分も刻一刻と変化したのではないかと思います。ただ、孔子は初期の周が平安だったころの身分制度がしっかりしていた封建時代を理想としてらしいのです。これについては、いずれ書かなければならない講に当たるでしょう。

 では、孔子はなぜ、『是礼也』(これが礼である)と返答したのでしょうか。孔子が大夫(たいふ)と言う役職についた頃の事であろうと、『現代人の論語』に書かれてありますので、大夫の役割として初めて大廟に入れたのでしょう。同じ大夫の者からからかわれたのかも知れません。しかし、このからかわれたのは、確かに〔すう〕と言う村の名前を挙げて蔑むように言いましたが、内容は「礼」の先生と言う評判の孔子が、『祭礼』に使う物を知らない事を揶揄されたのだと思います。確かに生まれ育ちをさして、そんな境遇でよく「礼」の事が分かるのか、といった内容です。しかし、孔子の『礼』に対する考えとは違っていたのだと思います。

 ですから、からかわれたのは物を知らない事ですが、孔子は、自分の『礼』に対する考えは、物事を詳しく知る事で、粗相のないようにする事です。と返答したのだと理解しました。

 ただ知識の上で知っている事と、扱える事では、全く違います。『礼』を表現するには、扱えなければなりません。それも『礼』に則った作法だと思います。知ったかぶりは、非礼に繋がります。

 孔子は『詩・楽・礼』の推進者です。それが祭礼に使う物を詳しく知らないと言う事は、確かに恥かも知れません。敢えて恥をかいてでも、聞く事によって『礼』を表わす事が出来れば、それが取るべき道であり、「一時の恥」として捉えたのかも知れません。

 世の中は、知識や財力、あるい地位など表面的な事に拘り、実質的な内面を疎かにしている傾向が強いと思います。教養ある人になるためには、知識に裏付けされた体験や経験が無くては、ものの役には立ちません。「一時の恥」を存分にする事が自分を作って行くのでしょう。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.