「五輪書」から学ぶ Part-53
【火之巻】けんをふむと云事

   【五輪書から】何を学ぶか?  

 今回のテーマを見ると、刀を踏むと言うのはどういう時にできるのですか。と、質問したくなります。でも、その刀が、太刀ではなく、「剣」と言っている所に答えが隠れているように思います。

 兵法でも仕事でも、武蔵が言う拍子やタイミングが、実際行われる事より重要な要素を占める事があります。今回の「けんをふむと云事」でもやはり、そのタイミングが重要なカギになりそうです。

  枕をおさゆると云事でも、火の手が上がった瞬間だと、人噴きすれば消える場合も、コップの水で消せる場合もあります。同じ火の手が天井に達するまでに、僅か2~3分です。如何に、消すタイミングが重要であるかが分かります。

 正に今行われようとしている、その瞬間に止めようとするのが「枕をおさゆる」事であれば、「けんをふむ」と言うのは、それからほんの少し遅くなっても、まだ、やり方によれば、防ぐ事ができると、言っているのではないでしょうか。

 仕事でも、大事になる前に何とか打つ手がある場合に、打つ手を実行に移せる人が、「やりて」と言われます。どんなに良い打つ手、すなわちアイデアがあっても、タイミングを合わせて実行しないと、天井まで上がってしまった炎に、最新の消火器を使っているようなもので、物の役には立ちません。

 さて、武蔵は、「けんをふむと云事」で何を伝えたのでしょう。

【火之巻】の構成

1. 火之巻 序
2. 場の次第と云事
3. 三つの先と云事
4. 枕をおさゆると云事
5. 渡を越すと云事
6. 景氣を知ると云事
7. けんをふむと云事
8. くづれを知ると云事
9. 敵になると云事
10. 四手をはなすと云事
11. かげをうごかすと云事
12. 影を抑ゆると云事
13. うつらかすと云事
14. むかづかすると云事
15. おびやかすと云事    
16. まぶるゝと云事
17. かどにさはると云事
18. うろめかすと云事
19. 三つの聲と云事
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
  
『原文』
7. けんをふむと云事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
劔を踏と云心ハ、兵法に専用る儀也。先、大なる兵法にしてハ、弓鉄炮におゐても、敵、我方へうちかけ、何事にてもしかくる時、敵の弓鉄炮にてもはなしかけて、其跡にかゝるによつて、又矢をつがひ、鉄炮にくすりをこみ合するによつて、又新しくなつて追込がたし*。弓鉄炮にても、敵のはなつ内に、はやかゝる心也。はやくかゝれバ、矢もつがひがたし、鉄炮もうち得ざる心也。物ごとに敵のしかくると、其まゝ其理をうけて、敵のする事を踏付てかつこゝろ也。(1)又、一分の兵法も、敵の打出す太刀の跡へうてバ、とたん/\となりて、はかゆかざる所也。敵のうち出す太刀ハ、足にて踏付る心にして、打出す所を勝、二度目を敵の打得ざる様にすべし。踏と云ハ、足には限るべからず。身にてもふミ、心にても蹈、勿論太刀にてもふミ付て、二の目を敵によくさせざる様に心得べし。是則、物毎の先の心也。敵と一度にと云て、ゆきあたる心にてハなし。其まゝ跡に付心也。能々吟味有べし。(2) 
【リンク】(1)(2)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 7. けんをふむと云事

 剣を踏むと言う気持ちは、兵法の専門用語である。まず、合戦などにおいては、弓や鉄砲で、敵が味方に打ち込むのが止んでから、反撃するので、その間に敵は、弓に矢をかけ、鉄砲に弾を装填するので、同じ事が繰り返されるので追い込む事ができない。
 相手が弓や鉄砲でも、敵が攻撃している内に、懸かる気持ちが必要である。攻撃している最中に仕掛ければ、矢もかけ辛く、鉄砲も撃てなくなる。すべては、敵の仕掛ける時に、その時の良い方法を見つけて、敵を踏みつけるようにして、勝つ。
 また、一対一の戦いであっても、敵が攻撃した後で仕掛けても、どたんばたんと、単調になり、上手く行かない。敵の打ち出す太刀を、足で踏みつける気持ちで、二度目が打ち出せないようにする事。踏むと言うのは、足に限らず、身体でも踏み、心でも踏む、無論、太刀にても踏みつけて、敵の二の太刀をさせないよう心掛けること。これがすなわち、物事の先の気持ちである。敵と同時に当たる分けではなく、相手の攻撃について瞬時に攻撃すると言う意味である。よく研究すること。

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 『私見』

 これは、「剣」と「懸」をかけての言葉ではないのかと思います。しかし、ただ「懸の先」とは違うと思っています。あくまでも、相手の攻撃が先にあるという事です。
 ここで、 三つの先と云事を復習してみましょう。
 あくまでも、相手が先に攻撃を仕掛けているのですから、「待の先」であると推測します。

 原文ではなく「私見」で要約したものを見て見ましょう。

(1) 相手が攻撃してきても、相手の動きを見定めて、弱気になったように見せながら、相手が間合いに入るのを見極めて、さっと間合いを外すやいなや、飛び込む気勢を見せ、相手が怯む所を直ぐに攻撃する。

(2) 相手が攻撃するのを見定めて、その攻撃を撥ね退ける勢いで反撃する。これは、こちらの気勢に相手がたじろぐ瞬間に攻撃する事が大切である。

 この(2)の撥ね退ける勢いと、「踏と云ハ、足には限るべからず。身にてもふミ、心にても蹈、勿論太刀にてもふミ付て、二の目を敵によくさせざる様に心得べし。」(原文)とを比べてみると、撥ね退ける勢いでは、決して撥ね退ける分けではなく、勢いを表しています。撥ね退けてしまっては、目的(斬る)を達成できません。あくまでも、気持ちです。

 「剣を踏む」のも、実際に斬りかかる刀を踏むというのは、現実的ではありませんから、次の攻撃をさせない事に主眼があると思います。どちらも、相手の攻撃に対して怯むことなく、そして躊躇することなく、反撃をする事ではないでしょうか。

 「枕をおさえる」では、情報の蓄積と言う事が大事であると言いました。

 左の図を見て下さい。何か現実問題として表面に出る前に、「ヒヤリ」とすること、あるいは「はっ」とする事が、必ずあって、その氷山の一角が事故や災害あるいは、重大な事件であるという法則です。この「ヒヤリ・ハット」は、ぼんやりしてると、やり過ごしてしまうような、些細な事です。これを些細な事として捉えるのではなく、これから起こる事を予測できるようになる必要があるのです。

 「剣を踏む」のと「待の先」での注意点は、どちらも、相手の攻撃が終わってから行動を起こしていては、遅いと言うことです。これは、「後の先」にも通じる所なので、三者三様の、僅かな時間の誤差を知って、区別して覚え、稽古で体験を積み、自分のものにする必要がありそうです。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html