「五輪書」から学ぶ Part-55
【火之巻】 敵になると云事

 五輪書から】何を学ぶか?  
 

 今、世間を驚愕させている「猟奇殺人事件」は、稀であってほしいと願いますが、立て籠りによる人質事件も、過去には多発しています。

 今回のテーマは、「敵になる」と言う事ですが、相手の気持ちになって考えれば、解決の糸口が見つかるのかも知れません。

 しかし、信じられない事件の場合は、相手の気持ちを察する気持ちにも、なりたくない思いです。

 護身術と格闘術は、根本が違います。立て籠りの相手から人質を救出するのと、制圧するのとでも、目的が異なります。

 色々な場面で、相手の気持ちを察する状況は違うと思いますが、相手と上手く付き合う場合でも、相手を捕える場合でも、相手を打ちのめさないといけない場面でも、相手を知るための方法として、気持ちは察する必要がありそうです。

 今回のテーマでは、仕事や人間関係で、相手の気持ちになって考える、そんな場面を想定しながら読み解くと、座右の銘の一つになるかも知れません。

【火之巻】の構成

1. 火之巻 序
2. 場の次第と云事
3. 三つの先と云事
4. 枕をおさゆると云事
5. 渡を越すと云事
6. 景氣を知ると云事
7. けんをふむと云事
8. くづれを知ると云事
9. 敵になると云事
10. 四手をはなすと云事
11. かげをうごかすと云事
12. 影を抑ゆると云事
13. うつらかすと云事
14. むかづかすると云事
15. おびやかすと云事    
16. まぶるゝと云事
17. かどにさはると云事
18. うろめかすと云事
19. 三つの聲と云事
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
  
『原文』
9. 敵になると云事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
敵になると云ハ、我身を敵になり替りておもふべきと云所也。世の中を見るに、ぬすミなどして、家のうちへとり籠るやうなるものをも、敵を強くおもひなすもの也。敵になりておもへバ、世の中の人をみな相手として、にげこミて、せんかたなき心也。とりこもる者ハ雉子也、打はたしに入人ハ鷹也。能々工夫有べし。大なる兵法にしても、敵といへバ、
強くおもひて、大事にかくるもの也。我常に*よき人数を持、兵法の道理を能知り、敵に勝と云所を能うけてハ、氣づかひすべき道にあらず。一分の兵法も、敵になりて思ふべし。兵法能心得て、道理強く、其道達者なる者にあひてハ、かならず負ると思ふ所也。
能々吟味すべし。(1) 
【リンク】(1)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 9. 敵になると云事

 敵になると言うのは、自分を敵になったつもりで考える事である。世の中を見ると、盗みなどをして、家の中に閉じ籠るような者でも、その者を想定外に強い者と思ってしまう。しかし、閉じ籠っている者の心境になれば、世の中の人をみんな敵にまわして逃げ込んでいるのだから、どうしてよいか判らない気持ちになっている。だから、閉じ籠っている者を雉と思えば、捕えようとする者は鷹である。よく考えてみる必要がある。
 合戦においても、敵と言えば、強いものと思ってしまい、大げさに考えてしまいがちである。味方が常に適正な人数で、兵法のやり方をよく知り、勝つ方法をよく考えれば、特に気にする必要もない。
 一対一の戦いでも、敵の気持ちになって考える必要がある。兵法をよく知って、やり方をよく考えることの出来る、兵法の道に熟達した者に遭うと、必ず負けてしまうと思うのである。よく考える必要がある。

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 『私見』

 よく、相手の気持ちになって考えてみよう、などと言う事は聞きます。その場合は、良くない事をする場合に、自分がされたらどう思うのかという、注意喚起だと思います。要するに、道徳上の事ですね。

 ここでは、相手の精神状態を知って、過大に評価する事がなければ、いらない心配をせずに済むと言った事です。

 戦いの場合には、この相手の精神状態も、自分の精神状態も、ややもすると、異常な状態になりがちです。もちろん戦いですから、平静ではありません。

 平静な状態も、異常な精神状態でも、人間にとっては、ごくごく自然な事なのです。ですから、異常な精神状態でも、頭から拒否しなければ、容易に推測することが出来ると思います。相手の身になって考えるようにしましょう。

 そうすると、相手を制するための方法が、浮かび上がってくるのではないでしょうか。ここで想定されているような、閉じ籠りや籠城と言った、ある程度時間の余裕のある場合には、しっかり戦略をたててから、行動に移す方が良いと思います。

 それでも、場面場面で状況は違いますし、おなじ局面でも時間の経過によって、相手の気持ちも移ろうのは、当然の事です。この気持ちが変わるという事にも、心を配る必要があります。

 性格にもよると思いますが、私の場合は、相手を甘くみるより、侮らないよう気を付けています。どちらにしても、相手の技量を図る時に狂いが生じると、良い結果を導けません。

 相手を甘く見過ぎてもいけませんし、侮り過ぎてもよくありません。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言うではありませんか。
 日々の稽古を通して、相手の技量を正確に見定めることができる眼力を、養成しておくことが求められるのではないでしょうか。

 武蔵が言いたいのは、戦う前に勝手な空想で、心が折れない事を戒めているのだと思っています。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html