「五輪書」から学ぶ Part-82
【風之巻】他流に足つかひ有る事

 【五輪書から】何を学ぶか?  

 足の使い方と言うと、空手の場合は、直ぐに蹴る事を想定してしまいます。ここでは、動き回るための足の使い方です。
 武蔵ならではの視点と、時代の変わり目による違いが浮かび上がってくるように思います。

 私が空手を始めた頃、昭和30年前後から昭和40年頃までは、流儀によって明確に、構え方や運足方法、突き方、蹴り方に特徴がありました。

 首里手の流れ、那覇手の流れには明確な違いがあり、立ち方としては、首里手の流れでは、猫足立ち、一方那覇手の流れでは、四股立や三戦立などが特徴的でした。
 私が今継承している松濤館流においては、後屈立ちや前屈立が主流であったと記憶しています。
 学校の関係で、大阪から東京に移った時、糸東流から松濤館流に流儀が変わりましたが、かなり立ち方には、苦労しました。松濤館流、船越義珍師の高弟小幡功師の直弟子である佐々木武先生が私の先生ですが、松濤館流であるにも関わらず、転掌と三戦は、忘れずに稽古を続けなさいと言われました。今でもその言葉の通り稽古し、髓心会でも上の者には伝えています。

 剣道でも、剣術の時代では撞木立ち(撞木足)と言う立ち方で、足を運ぶ事があったという事なので、現在の竹刀を持って、背筋を伸ばし、右足を前に、左足の踵を床から離して立つ方法とは、違っていたと聞いています。

 競技空手の場合、現在では、個人的な違いは見れますが、流儀によって特徴があるとは思えません。これも、時代の流れと見るべきでしょうか。それとも、ルールがその形を変えたのでしょうか。

【風之巻】の構成

1. 兵法、他流の道を知る事
2. 他流に大なる太刀を持つ事
3. 他流におゐてつよみの太刀と云事
4. 他流に短き太刀を用ゆる事
5. 他流に太刀かず多き事
6. 他流に太刀の搆を用ゆる事   
7. 他流に目付と云ふ事
8. 他流に足つかひ有る事
9. 他の兵法に早きを用ゆる事
10. 他流に奥表と云ふ事
11. 後書
 
『原文』
8. 他流に足つかひ有る事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
足の踏様に、浮足、飛足、はぬる足、踏つむる足、からす足などいひて、いろ/\さつそくをふむ事有。是ミな、わが兵法より見てハ、不足に思ふ所也。(1)
浮足を嫌ふ事、其故ハ、戦になりてハ、かならず足のうきたがるものなれバ、
いかにもたしかに踏道也。又、飛足をこのまざる事、飛足ハ、とぶにおこり有て、飛ていつく心有、いくとびも飛といふ利のなきによつて、飛足悪し。又、はぬる足、はぬるといふ心にて、はかのゆかぬもの也。踏つむる足ハ、待足とて、殊に嫌ふ事也。其外からす足、いろ/\のさつそくなど有。或ハ、沼ふけ、或ハ、山川、石原、細道にても、敵ときり合ものなれバ、所により、飛はぬる事もならず、さつそくのふまれざる所有もの也。我兵法におゐて、足に替る事なし。常に道をあゆむがごとし。敵のひやうしにしたがひ、いそぐ時ハ、静なるときの身のくらゐを得て、たらずあまらず、足のしどろになきやうに有べき也。(2)
大分の兵法にして、足をはこぶ事、肝要也。其故ハ、敵の心をしらず、むざとはやくかゝれバ、ひやうしちがひ、かちがたきもの也。又、足ふみ静にてハ、敵うろめき有てくづるゝと云所を見つけずして、勝事をぬかして、はやく勝負付ざる*もの也。うろめき崩るゝ場を見わけてハ、少も敵をくつろがせざるやうに勝事、肝要也。能々鍛錬有べし。(3)
【リンク】(1)(2)(3)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 8. 他流に足つかひ有る事

 足の踏み方には、浮足、飛び足、撥ねる足、踏みつむる足、からす足などと言って、いろいろ左足を踏み込む事がある。これは全て、我兵法から見ると、不備と思える。
 浮足を嫌う理由は、戦いの場合は、必ず足が浮きやすくなるので、しっかり踏みしめる必要がある。
 又、飛び足を好まない分けは、飛ぶ準備段階で居着いてしまい、着地の時にも居着く。何度も飛ぶ事に良い事は無いので、飛び足は悪い。
 又、撥ねる足は、撥ねると言う心があって効率の悪いものである。踏みつむる足は、待つ足なので、格別に嫌う。その他、からす足など、色々左足を踏み込む足がある。場合によっては、泥沼、山、川、石原、細道でも、敵と斬り合う事があるので、場所によっては、飛び跳ねる事も出来ず、左足を踏み込む事も出来ない事がある。我兵法では、普通に歩くように足を使う。敵の拍子に合わせて、急ぐときは、静かに歩く時と同じ態勢で、早くもなく遅くもなく、足が縺れないようにするべきである。
 合戦では、足を運ぶ事は重要である。理由は、敵の心境を知らずに、むやみに速く懸かれば、好機を逃して勝ち難いものである。又、静かに足を運んでは、敵が狼狽えて、崩れる所を逃して、素早く勝負がつかないものである。狼狽えて崩れる時を逃さず、敵に余裕を与えないようにして、勝つ事が肝心である。よく鍛錬する事。

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 『私見』

 ここで言われている「さつそく」と言う言葉を「左足」と訳した理由について、述べる事にします。前後の文章から、軸足ではないかと推測しました。ですから、それが右足でも左足でも、飛び跳ねる時の軸足と言う意味に捉えました。あくまでも推測の域を出ません。しかし、武蔵の言う「足つかひ」から逸脱するものではありません。

 武蔵は、当時板の上で稽古する事、すなわち道場内で稽古する事が増えた事に対する批判をしていると思います。床の上では、摺り足や飛び跳ねる事は、現在の空手の世界を考えると、十分考えられます。その当時から、運足方法に変化が出来たのでしょう。
 たとえ、道場内でなくても、試合をする場所が、整地をした所であっても同じです。
 この事も、時代の変わり目である事が原因と考えられます。

 どこで、斬り合いが始まるか分からない時に、綺麗に掃除が行き届いた場所での運足で稽古していると、思わぬ物に躓いたり、飛べない所で飛ぼうとしたり、自分自身が混乱し、狼狽えてしまうでしょう。
 これが、ルール上での戦いと、実戦との大きな違いです。ルール上での戦いに、武蔵が言う、狭い所も、沼地も傾斜の激しい山や、流れのある川はありません。

 私は昔からよく山の中や、海岸の岩場、お寺の境内を利用して稽古しました。今でもお城の片隅の、木々の間を練習場所に選んでいます。このような場所では、道場内での運足方法は、まったく役に立ちません。今では、やはり、武蔵の言う「常に道をあゆむがごとし」が一番良いと思っています。
 ただし、武蔵の時代の通常の歩き方と、現在の歩き方に違いがある事には注意する必要があります。まず、履物が違う事と、刀を腰に差している事を考慮する必要があります。この歩き方については、いずれ機会があれば記述しようと思います。

 空手を本格的に始めた当時は、すでに道場内の稽古でした。運足方法も、床に紙を引いて、その紙が破れないよう、また足が紙とすれすれに移動するように稽古した事を覚えています。
 それでも、朝は4時から起きて、お寺の境内の隅で稽古をしていますと、石がごろごろしていて、決して摺り足などできませんでした。当時は、未熟ゆえの事だと思っていましたが、この武蔵の他流に足つかひ有る事」から納得する事ができるのではないでしょうか。
 摺り足に拘る事も良くない事だと思います。なにより、飛び跳ねる時に出来る居着きや、飛び跳ねて着地した瞬間の居着きについては、心すべきだと思います。

 では、現在の運足方法が間違っているのかと言うと、そうではありません。その場、その場状況で、運足方法を考えてみてはどうでしょうか。
 それでも、習慣は咄嗟の状況に対応しずらいものです。この噛み合いを十分考慮する必要があります。

 大阪で空手を始めた頃に、糸東流故高丸浩二先生から「時々は、道着を着けないで稽古しなさい」と言われたことがあります。現代的な稽古方法が習慣となってしまう事を戒められたのだと思います。
 運足方法も、たまには、靴を履いて、平坦でないところで練習するのも良いのではないでしょうか。昔は裸足に拘っていましたが、足を怪我してしまうので、運動靴を勧めます。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html