日本で明文化された「礼節」は、聖徳太子の「十七条の憲法」だと思われます。現在の憲法とはいささか趣が違い、官僚や貴族に対する道徳的な規範が謳われています。まさしく、「礼節」の重要性が強調されています。
今では歴史的な考察が進み、聖徳太子の著作かどうかも定かではありませんが、ここでは、聖徳太子が「日本書紀」に初めて全文を著したものとしておきましょう。
興味のある人は、原文を載せておきますので読んでください。
下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。
|
少し、大雑把に要約してみましょう。
1.和を以て貴しとなす。という、有名な言葉を一番最初書いています。
2.仏・法・僧を信奉しなさい。
3.王(天皇)の命令に、謹んで服従しなければ、国家の存亡にかかわる。
4.上の者が礼を遵守しなければ、下の秩序はみだれ、下の者が無礼であれば罪人を作る。
5.法を行う者は、接待や供与を受けず、厳正に審判すること。
6.面従腹背の輩は、国家を滅ぼす。
7.権限の乱用は国家の存続をおびやかす。
8.公務につく者は、早く出勤し、遅く退出する。
9.真心は人の道の根本である。真心をもって仕事をすること。
10.人間は賢愚を同時に備えている。耳輪に端がないのと同じである。自分がすべて正しいと言う考えを持たない事。
11.信賞必罰の励行。
12.税金は重複して取ってはならない。
13.職務に対しては熟知し、公務を停滞させてはいけない。
14.嫉妬の禁止。
15.私心を捨てて公務にあたる事。
16.人民を使役する時は、時期、環境を考えてする。
17.重大な事柄を判断する時は、必ず衆知を集め議論したうえで決める事。
随分と端折って要約しましたが、時代の背景であったり、身分制度であったり、俄かには納得しかねる部分もありますが、概ね、現在でも十分当てはまる所が多いのではないかと思います。
私がなぜ「十七条憲法」のような道徳的規範を示して、「礼節」を考えたいかと言いますと、「礼節」の大半は、すなわち道徳的規範だと思うからです。
|
小笠原流であろうと、茶道、華道など如何にも礼儀の上に成り立っているような道でも、まして、空手道などの格闘技が元になっているものから、自然に「礼節」が解る事もないし、身に付く事もないと思うのです。
それでも、『ものには仕方がある』といつも言いますが、仕方を模索するにも、理論武装は必要です。前にも紹介しましたが、千葉周作(北辰一刀流創始者)の和歌「上達の場に至るに二道あり、理より入るものあり、業より入るものあり、何れより入るも善しといへども、理より入るものは上達早く、業より入るものは上達遅し」とある事に共感を覚えています。
日本武道館の小道場だったと思いますが、「礼節」について書いた文章を見つけた事があります。
確か、「・・・人と人との交際を整え社会秩序を保つ・・・」という部分だけ覚えていますが、要するに、人と人が何かの縁で知り合いになる時には、相手の人格に敬意を表す方法として礼法があり、武道を志す者は心の中に相手を尊重する気持ちを持ち、その気持ちを礼法をもって表す事が大切である、というような事が書かれてあったと記憶しています。
冒頭で、日本では聖徳太子が初めて「礼節」を明文化したと書きましたが、もっと前から言葉では無かったかも知れませんが、社会秩序を保つために人類は相当智慧を働かせたのだと推測します。
人間は、生き延びるために、自然と闘い、他の動物と争い、自分とその仲間を守るために戦い続けてきた歴史があります。今もなお、人よりも裕福であろうと、経済戦争の真っただ中にいるといっても良いでしょう。自分の国が有利になるため、核武装して国を守れると信じて疑わない国もあります。
こんなに文明が発達した時代でも、太古の昔とそれほど違わない争いを、いやそれ以上の争いをしているように思えます。
1500年も前から、「和を以て貴しとなす」とあらためて戒律を定めないと、国を滅ぼしかねないのが人間のようです。
写真は、私が書いた一円相です。本来は、禅僧などが完全な悟り、心の本来の姿を示すために描く円のこと。(出典:「大辞林」三省堂.)とありますので、『礼節』を欠いている事は明白ですが、生意気にも、礼儀知らずに、書いて見ました。今年は篆刻に挑戦してみようと、落款は全て、石に手彫りしてみました。 念のため書き添えますが、作品ではありません。ただ書いてみただけです。