【武道に不可欠な気】 |
なるべく、科学的にものごとを理解しようと思う反面、科学では証明しきれない事に出くわすのが世の中ではないでしょうか。 軟酥(なんそ)の法でも、 【縁】 にしても、不思議な事が起こります。「縁」の所で書きましたが、理解できる能力は持たないものの、惹かれるという感覚を持っているのが、人間と言えるのではないでしょうか。
近年は、「気」と言うものも、科学的な証明がなされ、エネルギーの一種として、その利用まで考えていると言う科学者もいます。しかし、残念ながら研究者が少ないのか、気というものの懐疑的な部分が全て検証されるまでには至っていなのが現状ではないでしょうか。気の研究者として有名な佐々木茂美氏によると、水を媒体として、確かに「気」を物質として計測できたようです。
西洋思想では、心と体を分離して二元論として考えられていますが、東洋思想では物質と精神が渾然と一体となっています。老子などの思想はその典型かも知れません。もちろん、釈迦や、それ以前のヨーガにおいても、心が体に影響を及ぼすことを、切り離して語る事はなかったと思います。
どちらを信じるかは、今の所、個人に委ねられています。ただ、日本でも明治になるまでは、心と体を一緒に考えていた事は、残された言葉によって明らかです。例えば、「病は気から」とか「気の迷い」、「気息」「神気」「気配」などなど、数え上げればキリがないほど、「気」は、生活に密着していたのではないかと思います。
東洋医学では、当然の事でも、西洋医学に慣れ親しんだ大多数の日本人には、直ぐには理解できないのが、「気」の存在です。東洋医学では、経絡と経穴(つぼ)という「気」が流れる血管のようなものが実在するとしています。西洋医学では、リンパ管とリンパ節がありますが、同じものではないとされています。このあたりが、理解を困難にしている所ですが、明確に人体図に名称と場所が書かれてある所を見ると、実際に他の臓器と分離して理解できる人がいるという事なのかとも思います。西洋の解剖学では計り知れないところです。
あくまでも、 座禅の効果 に記載の「手当」や 軟酥(なんそ)の法 を通して、結果を信じない訳にはいかないのですが、如何せん「気」についての書物は、難しい言葉で埋め尽くされていますので、読み解くまでには至りません。
ただ、武道を志すものとして、必要だと思うものの一つとして「気」の存在はあります。合気道の有名な方々、例えば塩田剛三氏や藤平光一氏、また合気柔術の佐川幸義氏や岡本正剛氏のように、相手が触った瞬間に相手を投げ飛ばす事は、理論上理解はできますが、空手を適当にではあっても、60年間実践しても、その域に、達する事は出来ません。一度や二度は似たような経験をした事はありますが、再現性がないのが現実です。まして、ドラゴンボールに出てくる、カメハメハのような事が出来れば良いのですが、これも実現出来ていません。
空手で必要な「気」の一つは、相手が攻撃する「気」であり、自分が攻撃する時の「気」です。また、相手と組み合った時の「気」も必要です。
まず、相手の攻撃に対してですが、相手の「気」を感じてなのか、相手の動作の微妙な動きを察知してか解りませんが、動作を起こす前に感じる事はできます。
自分が攻撃する時の「気」は、一瞬吐く息を止める事によって増幅できるように思います。大関高安が最後の仕切りの前に「肩を上げ下げして、ん!」と言うのに似ています。もっと、一瞬ですが。
相手と組み合ったときは、横隔膜を下にするように吐く事で、重心を下げる事ができます。
私ができるのは、この程度ですが、どれも明確に「気」を感じた結果とは認識できていません。
手の掌を胸の前で向かい合わせにすると、「手当」をしている時のように手の平に若干の圧迫感とムズムズした感じを感じます。真似事ですが、太極拳の起勢(チーシー)でも手の平に空気を感じる事は出来ますし、手の平で前に押していく動作の時も手の平に空気の層を感じる事はできます。これを「気」と呼ぶのでしたら、今の所、空手には使えていません。
呼吸によって、重心を落とす方法として、私は、横隔膜を下に押し下げるようにして息を吐くと、丹田に力が満たされ、下腹部が骨盤の間に落ち、重心が下がります。
「型」の用意の姿勢から、最後まで、この落とした重心を保つように呼吸をするようにしています。これは、精神力がかなり必要で、一心になる必要があります。組手もこの精神の統一が崩れないよう心がけています。
自分が攻撃するための「気」以外は、 『禅』や 不動智神妙録 に書かれてある事の方が、私には腑に落ちる物があります。
【参考文献】
・佐々木茂美(1991-1993)『「気」のつくり方・高め方』ごま書房.
・杉充胤(1986-1989)『中国気功法』株式会社たま出版.
・石ノ森章太郎(1991)『老子道巻之一』株式会社たま出版.
・石ノ森章太郎(1991)『老子道巻之二』株式会社たま出版.
・藤平光一(1990)『氣の威力』講談社.