「五輪書」から学ぶ Part-12
【水之巻】序

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   五輪書から】何を学ぶか?  

 『五輪書』の概略は、「地の巻」で大方は理解できました。しかし、細部に渡っては、この「水の巻」から始まります。物語でいえば、ようやくプロローグが終わったところです。
 私は、前にも書きましたが、読書する習慣がありません。今回「不動智神妙録」に始まり、「五輪書」を事細かく読み解く機会が出来ましたのも、何かの「縁」なのかも知れません。
 ずっと以前になりますが、「小さい時に勉強していない人は、大きくなってから勉強することになる」人生は結局、出ている所と凹んでいる所が均される。というような事を聞いたことがあります。そうかも知れませんね。
 なんだか、今頃つけが回ってきたように、勉強しています。
 まだまだ、「五輪書」の緒に就いたに過ぎません。暇つぶしとしては結構役立つ情報が満載されていますので、飽きずに、お付き合い下さい。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
 2. 兵法心持の事
 3. 兵法身なりの事
 4. 兵法の眼付と云事
 5. 太刀の持様の事
 6. 足つかひの事
 7. 五方の搆の事
 8. 太刀の道と云事
 9. 五つの表の次第の事
10. 表第二の次第の事
11. 表第三の次第の事
12. 表第四の次第の事
13. 表第五の次第の事
14. 有搆無搆の教の事
15. 一拍子の打の事
16. 二のこしの拍子の事
17. 無念無相の打と云事
18. 流水の打と云事
19. 縁のあたりと云事
20. 石火のあたりと云事
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
1. 序 (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 兵法二天一流の心、水を本として、利方の法をおこなふによりて、水之巻として、一流の太刀筋、この書に書き顕すものなり。
 この道、いづれもこまやかに、心のままには書き分け難し。たとへ言葉は続かざるといふとも、利はおのづから聞こゆべし。この書に書き付たるところ、一言々一字々にて思案すべし。おほかたに思ひては、道の違ふこと多かるべし。兵法の利においては、一人と一人との勝負のやうに書き付たるところなりとも、万人と万人
との合戦の利に心得、大きに見立つところ肝要なり。この道にかぎつて、少しなりとも道を違へ、道の迷ひありては、悪道に堕つるものなり。
 このこと、書き付けばかりを見て兵法の道及ぶことにはあらず。この書に書き付たるを、わが身にとつて、書き付けを見ると思はず、習ふと思はず、以せものにせずして、すなわちわが心より見出したる利にして、つねにその身になりてよくよく工夫すべし。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』
 1. 序
 二天一流の心は、水の性質を基礎として、勝つための理を習得する方法であるから、それを水の巻として、太刀筋をこの書に書き表す。
 この道は、全てを詳細に、思っていることをそのままに、書き表すことは難しい。たとえ、言葉に出来ない部分はあったとしても、真意は伝わると考える。その為には、一字一句熟慮する必要がある。概ね理解が出来たとしても、それは、真意とは違う事が多い。兵法において勝つための方法を、一対一の場合を想定して書いてはいるが、万人と万人の合戦に勝つための理論であると心得て、考えることが肝要である。この道では、少し道が違うと、迷ってしまい、悪道に堕落する。
 この書いてあることを読めば、兵法の道に達する訳ではない。自分のものにするため、ただ読み習うと考えないで、物真似にしないで、心から自分の心と体に体現出来て初めて習得する事ができるので、常日ごろから工夫すること。

 『私見』
 習い事に対する視点が、良く書き表されていると思います。私は古語を借りて、「守・破・離」という言葉をいつも使います。武蔵が言うように、習い事は、解ったような気持ちでは、まだまだ、解っていない事が多いように思います。学ぶ(まなぶ)の語源は、真似ぶ(まねぶ)と言われる事が多いと思いますが、真似ている間は、自分のものではありません。これを自分のものにしていく工夫が大切です。武蔵だけではなく、沢庵和尚も不動智という事を、「守破離」の「離」の段階の事として言っています。ここの所を誤解してしまわない事が大切です。一足飛びに物事は身に付きません。

 やはり、「守」の期間は、頑なに学んだことから逸脱しないよう、横道にそれないよう、修行に励むことが大切であろうと思っています。
 そして、ようやく真似る事も完成に近くなったところで、創意工夫して、自分のものにしていく努力が必要になります。その為には、学んだことだけではなく色々な知識や体験が必要になります。

 最後には、修行の過程で、がんじがらめになった心や体を解き放し、自由自在に考え、自由自在に動くことが出来るのだと思っています。

 この自由は、現在横行している。モンスターペアレントやモンスター〇〇と呼ばれているような自己中心的な、自由ではありません。

 モンスターでなくても、戦後の教育は、多かれ少なかれ、自分の中心が確立されないまま、自由な振る舞いができるように教えています。一度立ち止まって自分を顧みる事も必要な事とではないでしょうか。

【言葉の説明】
・守破離:
 千利休(1522-1591)[茶人]の詠った和歌に『規矩作法 り尽くしてるとも るるとても本を忘るな』がありますが、その守り、破る、離るるの文字を取り、守破離の語源であるとされています。
 私は、「能」で知られる、世阿弥(室町前期の能役者・能作者)が修行の段階を書いてあるのを読んだ覚えがあり、それ以来よく使う言葉です。
 最後の「本を忘れるな」という事も大切な言葉だと思っています。修行の最終段階で、心や体が自由自在の境地に達しても、基本精神は、忘れないようにしないといけない意味と思っています。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.


 
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