「五輪書」から学ぶ Part-13
【水之巻】兵法心持の事

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   五輪書から】何を学ぶか?  

  不動智神妙録 Part3は、概ね心の在り方について、書かれていましたが、この「2.兵法心持の事」においても、相手に勝つためには、心をどのように扱えば良いかが書かれています。
 武蔵の言う心と、沢庵和尚の言う心に、微妙な違いを感じる事ができると思います。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
 2. 兵法心持の事
 3. 兵法身なりの事
 4. 兵法の眼付と云事
 5. 太刀の持様の事
 6. 足つかひの事
 7. 五方の搆の事
 8. 太刀の道と云事
 9. 五つの表の次第の事
10. 表第二の次第の事
11. 表第三の次第の事
12. 表第四の次第の事
13. 表第五の次第の事
14. 有搆無搆の教の事
15. 一拍子の打の事
16. 二のこしの拍子の事
17. 無念無相の打と云事
18. 流水の打と云事
19. 縁のあたりと云事
20. 石火のあたりと云事
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
2. 兵法心持のこと (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 兵法の道において、心の持ちやうはつねの心に変ることなかれ。つねにも兵法のときにも少しも変らずして、心を広く、直にして、きつくひつぱらず、すこしも弛まず、心の片寄らぬやうに、心を真中に置きて、心を静に揺るがせて、その揺るぎの刹那も揺るぎやまぬやうに、よくよく吟味すべし。
 静なるときも心は静かならず。
なんと速きときも心は少しも速からず。心は体に連れず、体は心に連れず、心に用心して、身には用心をせず。心の足らぬことなくして、心を少しも余らせず。上の心は弱くとも、底の心を強く、心を人に見分けられざるやうにして、小身なる者は、心に大きなることを残らず知り、大身なる者は、心に小さきことをよく知りて、大身も、小身も、心を直にして、わが身の贔屓をせざるやうに、心をもつこと肝要なり。
 心の内
濁らず、広くして、広きところに智恵を置くべきなり。智恵も、心も、ひたと磨くこと専なり。智恵を研ぎ、天下の理非を弁へ、もの毎の善悪を知り、よろづの芸能、その道その道を渡り、世間の人に少しも騙されざるやうにして後、兵法の智恵となる心なり。
 兵法の智恵において、とりわき違ふことあるものなり。戦ひの場、万事忙しきときなりとも、兵法の道理を極め、動きなき心、よくよく吟味すべし。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』
 2.兵法における心の持ちかたのこと。

 兵法の道においても、常日頃の心の持ち方と変わってはならない。戦いの時にも心を大らかに、素直な気持ちで緊張することなく、かといって弛むことなく、心が偏らないよう、心を中心に据えて、静かにリズムを取り、そのリズムが瞬時も止まないよう、体得しておくこと。
 静かな時も心は沈めず、しかし瞬時の時にも心は変わらず、体が速く動いても心はその動きに引っ張られず、体も心の動きに動じないようにする。心の動きに気を配り、体の動きに気を取られない。心の動きに足りないところがないように、また無駄な心配はしないようにする。見かけは弱いように見せても、真の心は強く持って、相手から見透かされないようにして、身分の低い者は、戦況をよく察知し、身分の高い者は、兵がどのような動きをしているか、細部に渡って知り、身分の高い者も低い者も、素直な気持ちで、自分に都合の良いように考えたり、行動しないように心がける。
 心が濁らず、余裕をもって智恵をだす必要がある。智恵も心も、ひたすら磨く事が重要である。智恵を研ぎ澄まし、国全体の良し悪しを見分けて、それぞれの善悪を知って、色々な技芸に触れ、世間に騙されないようにすれば、兵法の知恵となる。
 兵法の知恵は、他の道と特に違うところがある。戦いの場では万事が慌ただしい中にあっても、勝つ道理を極めて、動揺しないことが大切である。

 『私見』
 実に面白い。「心を静に揺るがせて、その揺るぎの刹那も揺るぎやまぬやう」(原文)、この言葉は、「不動智」と異質の考え、いや、武蔵が体得した心情なのだろうと、推測します。

 相手が前に居て、しかも戦いの場で、無念無想は理想であっても、人はみな考え、心が居ついたり、囚われたり、自分の意志とは全く違った心を持ち、その心に引き摺られるように体が動いてしまいます。

 武蔵の言う、「静かに揺るがせる」事で、心の動く幅を限定して、そこからは、出ないように心がける。その心の幅を超えず、また幅の中で固定してしまわない心。言い方は違いますが、「不動智」そのものを指しているのかも知れません。
 その幅は、余裕と考えることもできます。この幅を得るために稽古するのかも知れません。

 身分制度の時代ですから、身分の高い者、身分の低い者と言っていますが、現代風に言い換えれば、上司と部下でも同じことが言えるでしょう。
 組織には、命令という意思の伝達方法があります。あまり好きな言葉ではありませんが、物事を遂行するためには、大局的にものを見、戦略を立てる役割と、実行する役割によって、物の見方や方法が違わなければなりません。

 武蔵の言う、単に刀の振り回し方に終わらない流儀である、と言っている事がここでも表現されています。

 「わが身の贔屓をせざるやう」(原文)も、常に心に置くべき言葉でしょう。特に現代人は、自分と違う意見の人を、自己中心的と言ったり、知ったかぶりと揶揄したり、自分の方が正しいと思いがちです。もしも、他人の事を「なんでも自分が正しいと思っている」と思ったら、それは、自分かも知れないと、思ってみる必要があるのかも知れません。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.


 
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