【五輪書から】何を学ぶか? |
『人生』をテーマに、昔から書物や詩、歌に詠まれる事が多いと思います。昔で言えば、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」で始まる方丈記や、最近でもないですが、「人生いろいろ」(島倉千代子)などが思い浮かびます。私は知りませんが、若者が口ずさむ歌にも、きっと「人生」を題材にしたものが沢山あるのでしょう。
哲学者や偉人と言われていた人達が、束になって懸かっても、この「人生」を解き明かす事は、出来ないのでしょう。
しかし、哲学者や偉人と言われた人の言葉には、「人生」を全うするためのキッカケやアドバイスを示してくれています。
功成り名遂げた、家康でさえ「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし急ぐべからず・・・・」と言い、秀吉も「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも夢のまた夢」と言い残しています。
一見豪傑に映る、宮本武蔵でさえ、今回のテーマのように、人生の厳しさを越えて来た、と思える事を書き記しています。
私も振り返ってみると、波乱万丈の人生であったと思いますが、歳のせいか、それさえも忘れてしまうようです。
1. 火之巻 序
2. 場の次第と云事 3. 三つの先と云事 4. 枕をおさゆると云事 5. 渡を越すと云事 6. 景氣を知ると云事 7. けんをふむと云事 8. くづれを知ると云事 9. 敵になると云事 10. 四手をはなすと云事 11. かげをうごかすと云事 12. 影を抑ゆると云事 13. うつらかすと云事 14. むかづかすると云事 15. おびやかすと云事 |
16. まぶるゝと云事
17. かどにさはると云事 18. うろめかすと云事
19. 三つの聲と云事
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
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5. 渡を越すと云事
渡を越すと言うのは、例えば海を渡る時に瀬戸と言う所もあるが、約160kmも約250km(40里、50里)もある長い海を越す事もある。これを渡と言う。
人の世を渡るのも、一生の内には越えて、渡らなければならない事も多いと思う。
航路においても、その渡る所を知って、船の性能を知り、天候を知って、たとえ、連れだって行く船がなくても、その時の状況に応じ、あるいは、横風によりどころを見つけ、あるいは、追い風も受け、もし風が無くても、約8kmや約12km(2里、3里)は、櫓を漕いで港に着くと思い、船を乗りきる事である。
その心を持って、人の世を渡る場合にも、大事な時は、渡を越えると思うのが良い。
兵法においても、戦う最中に、渡を越える事が重要である。敵の態勢を見て、自らの技量を知り、その理(ことわり)を信じて渡を越えることは、よい船頭が海路を越えるのと同じである。
渡を越えると、心は休まる。渡を越えるという事は、敵の弱みに乗じて、自分が先に概ね勝つ所である。大小の兵法も、渡を越すと言う気持ちが肝心である。よく熟慮する事。
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『私見』
少し、昔が使った比喩と、言葉が分りにくいかも知れませんが、簡単に言うと、『人生でも兵法でも、順風満帆に過ぎる事はなく、重大な局面を迎える事もあり、また大きな壁に突き当たる事もあるが、これを解決する対処の仕方によって、良くも悪くもなる。その壁を乗り越えるには、知識や技能も重要な力になるが、最後までやりきる覚悟が大切である。困難を克服した後には、自信も安心感も生まれる。』
概ね、武蔵が言いたい事はこう言う事ではないでしょうか。
大工に譬えた時には、分かりやすく書かれていましたが、「渡を越す」と言うのは、少し分かりにくいかも知れません。
しかし、「渡を越す」を「困難を克服する」と読み替えれば、腑に落ちるのではないでしょうか。又は、「峠を越える」と、山登りに譬えた方が、言葉としては解りやすいかも知れません。
武蔵の時代の船頭さんは、「渡を越す」と言ったかは、定かではありませんし、私には調べる方法が分かりません。「渡る世間は鬼ばかり」と言うテレビ番組がありましたが、これも、「渡る世間に鬼はなし」と言う故事をもじったものでしょう。さて、どちらが身に染みるのでしょうか。
ただ、「板子一枚、下は地獄」と、船乗りが非常に危険な仕事であることは、今も昔も変わりません。
なぜ、「渡を越す」と言う言葉が、すんなり頭に入ってこないかと言うと、「海を渡る」は解るのですが、その「渡る」を「越す」と言う事に、引っ掛かりを感じてしまいます。ですから、「越す」を『やりきる』と読み替えて見ます。そうすると、左に掲載した葛飾北斎の絵のように、『荒れた海を渡りきる』と意訳できそうに思います。
「困難を克服する」、「峠を越える」や「海を渡りきる」でも、読み替えやすい方法で、原文に挑戦してみてはどうでしょうか。
「我身の達者をおぼへ、其理をもつてとをこす事」(原文)の部分は、困難を克服する時の精神状態が書かれてあると思いますので、よく理解する必要があると思います。
「我身の達者をおぼへ」とは、自分自身が今まで修行して身に付けた技能を信じて、と理解しましょう。
続いて、その「理」(ことわり)ですから、修行で得た理論や法則の事です。
要約すると、自分が修行した、その流儀の法則と、修行の成果を信じて、困難を克服しなさい。と読み取る事ができます。
この文章を読んで感じる事は、武蔵も人生の岐路に立たされ、また困難を前にして、逃げ出したいような、気持にもなった事もあったのかも知れないと思います。
武蔵が寺尾孫之允信正に宛てた書簡に「独行道」がありますが、その中にも自戒とも取れる文言を見る事ができます。決して順風満帆の人生でなかったことは、確かなようです。
【参考文献】
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html
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