独行道を読む
【身尓たのしみをたくま須】

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【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

 『独行道』は、宮本武蔵が、寺尾孫之允(丞)に兵法書『五輪書』と共に1645年に与えたとされています。『五輪書』については、原文は発見されず、写本のみが多く各地に伝えられています。しかし、この『独行道』については、上の墨蹟が武蔵の書として残されていると言う事です。(写真は霊厳洞)

 武蔵の「自誓書」として、亡くなる一週間前に書かれたものとされています。『自誓書』と言うと、自分に誓うための書、と言う事ですから、色々な意味に捉える事が出来ると思います。

 一つは自分を律するために書く。一つは自分の生き方を反省する為に、あるいは、希望の生き方、目標として書く事もあるでしょう。そして、寺尾孫之允(丞)に与えていて、且つ、死の一週間前に書かれてあるので、遺言とも取れます。
 どんな思いで、武蔵はこの『自誓書』を書いたのでしょうか。

 さて今日は身尓たのしみをたくま須です。

★下のバーをクリックすると『独行道』全文が見えます!

『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

 身尓たのしみをたくま須は、『身にたのしみをたくまず』と読みます。
 これを、私は、『身に楽しみを企まない』と読む事にしました。

 では、もう少し、詳しく、この言葉を見ていきましょう。
 「身に」と言う言葉は、「自分の生き方」としても良いかと思います。「楽しみを企まない」は、「楽しみをたくらまない」と読みます。「企まない」と言うのは、軽く考えると、「考えない」。もう少し悪く考えると、「画策しない」でしょうか。

 武蔵は、求道者ですから、私から考えると当然の事だと思います。ただ、誤解される部分もあるかと思いますので、なぜ、楽しみを考えないのかを考えて見ましょう。

 私も、昔から求道者は「赤貧洗う」ような生活が当たり前と、思っていました。簡単に言えば極貧とでも言えば良いのでしょう。

 しかし、何故かを考えた事もありませんでした。それが人格者の生きる道とでも、思っていたのでしょう。

 「名もなく貧しく美しく」と言う映画がありました。1961年1月15日公開とありますので、56年も前になります。
 その頃から、経済的な幸せに対して、なんとなく違和感を覚えていたのでしょう。

 しかし、求道者が『身にたのしみをたくまず』と言うのは、少し意味が違います。「紺屋の白袴」や「医者の不養生」は、人の為に一生懸命で、自分に構っていられない、と言う事です。求道者は、人の為では無いにしても、一途に求める道を歩むために、他の事に目を奪われている暇がないと思います。

 では、仙人を目指す私はどうでしょうか。それも「こだわり」の範疇と思っています。もっと、気楽に、気楽に。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言うではありませんか。

 『独行道』の武蔵自筆とされる墨蹟には、変体仮名が使われています。次回には、変体仮名にもスポットを当てたいと思います。


【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

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