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「嫉妬」という言葉が、なぜ女偏なのかと、疑問に思っています。毎日寝る前に無料の学校ネットで、漢字の書き取りをして寝ます。今は、高校卒業レベルのものをやっています。 小学生や中学生レベルもやりました。その中で、「嫉妬」という漢字が出てきました。「妖」、「嫌」とか「媚」なども女偏です。「凄い」という字にも「妻」が入って、女性はやっぱり強いのかなとか、思いながら、書き取りをして眠ります。
漢字が出来た時代の背景を反映しているのだと思います。男尊女卑であったのでしょう。「妬み」(ねたみ)「嫉み」(そねみ)は、女性特有と烙印を押したのかも知れません。もしかしたら、男女ともにある気持ちを、あたかも女性にしわ寄せがくるように漢字を作ったのかも知れません。今でも「女の腐ったような」とか言いますね。まだまだ、女性蔑視の時代なのかも知れません。
前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。
漢文では『群臣百寮無有嫉妬 我既嫉人人亦嫉我 嫉妬之患不知其極 所以智勝於己則不悦 才優於己則嫉妬 是以五百之後 乃今遇賢 千載以難待一聖 其不得賢聖 何以治国』です。
これを読み下して見ましょう。
『群臣百寮は嫉妬有事無かれ 我既に人を嫉めば人亦我を嫉む 嫉妬之患其の極みを知ら不 己の智に勝る所以に於いて則ち悦ら不 才己に優るに於いて則ち嫉妬す 是を以て五百之後 及今賢に遇い 千載を以て一聖を待ち難し 其れ賢聖を得不ば 何を以て国を治めん』
では、現代文です。群臣は家来、百寮は役人ですから、ここは上司と部下と訳しておきます。
『上司も部下も嫉妬する事のないようにしなさい。自分が人を嫉めば、人もまた自分を嫉む 嫉妬で心を痛めることに限りはない。だから自分より優れた人に対して良い感情を持たない。自分より才能がある人を嫉妬する。そんな事をしていると、いつまでたっても賢い人に遭う事はない。千年たっても一人の聖人に遭う事も難しい。賢く偉い人材がいなければ、何を以て国を治められるのか』
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ここで言われている「嫉妬」が、なぜ「礼」を失する事と関係があるのでしょう。ここまで、十七条憲法を読んできますと、「礼」とは「信」すなわち「真心」である事が、前々回の第九条で共通の認識になったと思います。
真心は、ウソ偽りのない心と学びました。では、嫉妬の心は、ウソ偽りがあると言えるでしょうか。嫉妬心は、自分の知らない内に芽生えるものですから、正直な気持ちだと思います。という事は、ただ嘘偽りがなければ良い訳でもなさそうです。
「礼」の要素として、ただ嘘偽りがなければ良いかと言うと、そうではありません。相手に対する思いやりの気持ちも大切だと思います。であれば、嫉妬心には、相手を思いやる気持ちが欠ける事は言うまでもありません。
その事に気がつけばまだしも、嫉妬と言うのは湧き上がる感情ですから、嫉妬が起きないような性格にしていく、生活習慣がなければなりません。
前にも書きましたが、千回万回唱えても叶いません。まず、「礼節」を欠く事を、人間の行動として疑問を感じるようにならないといけないと思います。
今で言う『上から目線』でしょうか、人と競っても『どんぐりの背比べ』に過ぎないのですが、人は人と競う事に興味があるようです。正当な手段で競う場合はまだしも、相手に対して嫉妬心があり、なんとか蹴落とそうとして、正当な手段ではない方法を考え出す事は、十分ありえます。私が考えた節度の範疇には、ない要素なのかも知れません。
私はよく弟子に言うのですが、自分と同じくらいだと思えば、自分より優れている、自分より劣っていると思うと自分と同じ位のレベルであると。
物理的に背丈を比べても、自分と同じ位の高さと思うと、自分より高く、自分より低いと思うと、同じくらいであったり、兎角自分が見る視線にしても目線にしても、『上から目線』で見えてしまうようです。
これも、自分では気づかない、人に対する嫉妬かも知れません。
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私の母は、「上見たらキリがない、下見てもキリが無い」とよく言っていました。言葉を変えれば、「足るを知る」という事です。そんな教育方針の中で育ちましたから、人に対して、羨むとか、嫉妬するという事は、現在まで幸いにしてありません。
私は、今の自分を知る事が、とても大切であると思っています。ですから、空手の「型」稽古でも、一番大切なポイントは、自分を観る事に置いています。表面的な部分でも良いので、自分を客観的に知って、初めて向上出来るのですが、往々にして、先ほどの人と比べるのと同じですが、自分より遥に上手な人と同じ事をしようとしてしまいます。
目的は高い所に定めれば良いのですが、目標は身近な所に置かないと、挫折に終わり、挫折感で心まで壊してしまいます。
ちなみに、私は、目的は、的で動かないもの、目標は、標的で常に流動的なもの、そして、目標を達する事により、次の目標を設定して、目的に少しでも近づこうとするものと理解して実行してきました。
成功したい、人に勝ちたいと思う事は、人間本来持つ向上心であると思います。よく、ハングリー精神とか、野心など、色々な向上心を表す言葉がありますが、いつまでもその気持ちを引きづっていたのでは、人間としての向上を達する事はできません。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と自分自身に目を向ける事も『礼節』には必要な事だと思います。折角『功成り名遂げる』事で目的に達しても、晩節を汚したくはないですね。
嫉妬する前に、自分の居所を確認してみてはどうでしょうか。