前回、空手の重鎮との話をしましたが、今日は、相手によって、時間によって、あるいは場所や場合を考えないと、『礼節』を欠くという事を、知っておきたいと思います。
と、言う事でTPOを考えた、応対の仕方です。
今はどうか確認はしていませんが、昔の母親と言うのは、子供を大きな声を上げて怒鳴っている時に、人が来ると、途端に冷静に、そしてにこやかに、声も明るくほがらかに、普通に、何も無かったように、応対していたと記憶にあります。私の母親も同じでした。気持ちの切り替えが上手だったのか、本気で怒っていなかったのか、今になれば、知る由もありません。
自分の母親の事しか分かりませんが、一つ自慢できる事があります。これは、ボケ始めるまで続いていました。大晦日までは、忙しくお正月料理の用意をしていました。人間ですから、そんなにいつもいつも機嫌よくいられるはずもなく、不機嫌な時もありました。
それが、夜の12時を過ぎてお正月になると、まったく昨日までの不機嫌な母の姿はありませんでした。おだやかで、にこやかな母に戻ってしまうのです。それが、私が物心ついてからずっと続いていました。すごいな、と正直思っています。
特に人間が出来ているとは、思いませんが、自分の気持ちを、こんなにうまくコントロールできるのは、自分の母親を褒めるのは、気が引けますが、やっぱり達人です。
昔の人ですし、ちょっと昔で言うお嬢さん育ちですから、品格のある『礼節』を弁えていたのだと思います。
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『礼節』を表現するには、自分自身の気持ちを、上手くコントロールできる事も、大切な事だと、気付かされます。
十七条憲法十条に『人はみな凡夫であり、賢愚どちらも備えている』と言う意味の事が書かれてありました。人それぞれに考えがあると言う事も、第一条に書かれてあります。
『礼節』を表現するには、この事が根底にある事が必要だと思っています。
随分前になりますが、東京で不動産会社の営業部長をしている時の事です。まだ、ポケベルが主流の時代でした。車載の携帯電話はすでにありましたが、現在のガラケイと呼ばれる携帯電話が発売された当初の頃です。1990年代の初めの頃です。
その頃私は、PC98LT(3.3kg)という持ち運びできるコンピュータを使っていましたので、少しは通信機器については知識はありました。携帯電話も扱い方くらいは分かっていました。
そこの社長が、私に携帯電話の設定の仕方を聞いて来たのです。そこで、私は何の気なしに、「教えます」と言ったのだと思います。記憶が定かではないので、何とも言えませんが。
そしたら、社長が、「こいつ、俺に教えるってよ」って言ったのです。江戸っ子ですから、東京弁で。私は「えっ」と、息が詰まる思いでした。そんなに、上から目線で言ったつもりはないのですが、社長はそう取ったのだと思います。もしかしたら、社長の聞き間違いかも知れませんが、兎に角社長に、そう取られたのは、事実です。ちょっと、気まずい空気に包まれました。
『礼節』と言うのは、気を付けていても、曲解される場合もある事も覚えて置いた方が良さそうです。言葉と言うのは、共通認識がなければ、本当に扱いが難しいと思います。ですから、このブログでは、前もって言葉の説明を極力するようにしました。これも、『礼儀』の一つだと思います。
もちろん、曲解だけではなく、その人の考えや性格にもよります。この社長は、横浜国立大学の医学部を卒業しているそうで、色んな分野で知識のある人です。今はご子息が後を継いで、不動産会社の他、車のディーラー、運輸関係など10社にも拡大しているようです。ですから、私ごときに教えを乞う分けには行かなかったのだと思います。
もしも、私が本当に「教えます」と言ったとしたら、相手の立場も考えない『礼』を欠いた言葉だったと、思います。
では、こんな場合は、どういう言葉を選べば良いのでしょう。
相手が、「教えてくれ」と言われた場合は、「私にできるか分かりませんが、やってみます」と言った方が良いかも知れません。「分かりました」だと、上から目線と捉える人もいるかも知れません。この場合は明らかに自分より上司の場合で、同僚以下なら「分かった」で良いと思います。
あまりにへりくだってしまうのも、礼儀に反します。慇懃無礼というものです。丁度いい加減の言葉を見つけましょう。
しかし、気が付かない間に、随分、先輩や同僚、あるいは自分より若い人、部下や後輩に対して、失礼な事を積み重ねて来たのかも知れません。人によっては、あの無礼者と思われているかも知れません。特に空手界では、若いうちに役員をしていましたので、現実に反感を買い、敵対視された事も随分ありました。
やはり、知らない事は『罪』かも知れません。これからも、『礼節』から外れる事のないよう、気を付けたいと思います。