論語を読んで見よう
【衛霊公篇15-2】
[第二十一講 理想主義者と健全な常識人]

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 今の日本は、飽食の時代と言われて久しいです。いつ頃からですか、記憶も薄れていますが、昔は、食べ物を残すと、必ず「もったいない」と言われたものです。

 日の丸弁当が、当たり前の時代でもありました。日の丸弁当と言っても、今の人にはピンとこないかも知れませんが、お弁当箱にご飯が詰めてあり、真ん中に梅干しが一つ、の食事です。前にも書きましたが、親戚のおじさんと魚釣りに行ったとき、おじさんのお弁当は、アルミの弁当箱の中は、日の丸弁当でした。でも白米が食べられたのは、まだ良かったのかも知れません。

 現在でも、格差社会と言われていますので、芸能人の生い立ちなどを聞いていますと、耳を疑うような貧乏な生活を送った人も、数多く見られます。

 「衣食足りて礼節を知る」よく聞く言葉ですが、この言葉も中国の菅子と言う書物の倉廩そうりんちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱えいじょくを知る」から来ていて、日本の文化が、如何に古代中国の影響を受けたか、想像できます。この管子とは、前に出てきた、「管鮑の交わり」の管、すなわち管仲の事です。ただし、管子と言う書物は、一応管仲の作とされていますが、複数の人間が永い年月を経て、編纂したものだという事が分かっています。

 菅子を辞書で調べますと「中国古代の政治論文集。管仲の著と伝えられるが、一人の作ではなく戦国時代から漢代にかけて成立したとみられる。現存七六編。経済政策や富国強兵策などを記す。」(出典:大辞林 第三版 三省堂.)との記述がありました。

 なぜこのような事を書き始めたかについては、『論語』を読んでからにしましょう。
●白文

『在陳絶糧、従者病莫能興、子路慍見曰、君子亦有窮乎、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣』。
●読み下し文
ちんいましてりょうつ。従者病みてよくつことなし。子路慍しろいかってまみえていわく、君子もまた窮すること有るか。子のたまわく、君子もとより窮す。小人しょうじん窮すればここにみだ
』。【衛霊公篇15-2】

 では、現代文にして見ましょう。
 『陳と言う国にいた時、食料が無くなってしまい、一緒にいた人達が病気になり、立ち上がる事もできなくなりました。弟子の子路は怒って孔子に言いました。「君子であっても食事に困る事があるのですか
」と、孔子は「無論君子でもお腹は減ります。しかし小人が飢えると混乱します」と答えた』。

 ここで、疑問があります。なぜ、食料がない事を、子路は、孔子に詰め寄ったのでしょうか。孔子は、弟子や従者の食糧まで、提供していたのでしょうか。これでは、先生か弟子か分かりません。「礼節」を言うのであれば、弟子や従者が、先生の食料を確保するために、奔走するのが「礼節」だと私は思います。下克上の時代とは言え、孔子は元の身分制度を理想としていたのですから。
 また、例え、戦乱の世の中に対して、憤慨したのであっても、先生に詰め寄る必要があるのでしょうか。

 孔子は、君子は飢えても、我慢できる、小人は自暴自棄になると言いたいのでしょう。

 私の人生を振り返ると、経済的には、良い時も悪い時もありました。ですから、お金の無い時は、昼食は、朝出かける前に、弁当箱にご飯を入れて、おかずは卵一個をスクランブルにして、一年間過ごした事もありました。家族にはひもじい思いをさせたくありませんでした。しかし、これは粗食であって、ひもじい思いはしませんでした。ですから、贅沢は出来ませんが、我慢はできるものです。
 しかし、来月どうやって暮らして行こうか、と思った事もありました。私のは場合は、前にも書いていますが、友人知人に助けられたお陰で、人生があります。そんな時も、なんども人に助けられました。お陰で、犯罪を犯す事もなく今は平和に暮らしています。私は君子でもありませんので、人の助けが無ければ、もしかしたら、道を踏み間違えていたかも知れません。

 しかし、君子と言えども、我慢はできても、病気にもなりますし、空腹の為立つ事すらできなくなるのが、食事です。
 孔子が言う小人は、今で言う、教養のない自己中心的な人の事なのでしょう。であれば、我慢せず、人の物を盗むとか自暴自棄になって混乱を起こすかも知れません。私のように、人のお陰で、運よく危機を乗り越える事ができる人もいるでしょうが。

 君子と言えども、我慢にも限界があります。混乱は起こさないまでも、死んでしまうのが人間です。

 私が初めに「衣食足りて礼節を知る」と書いたのには、理由があります。いわゆる、「ない袖は振れぬ」です。

 いかに、「礼節」と言っても表わさなければ何も相手に伝わりません。「礼節」は、心に秘めるものではないと思います。思わないより、少しは許せますが、やはり気持ちは表して初めて相手に通じるものです。 「衣食住」は、潤沢では無くても、生きていくのに必要な物だけは、確保しておきたいものです。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.

 

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