今日の一文字は『慎』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二十八段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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厳粛
慎
終戦記念日の8月15日も過ぎ、毎年靖国神社の問題が取り上げられますが、そろそろ自立しても良い時代を迎えているような気がします。
日本の国が自立するためには、国民の覚悟がいると思います。それは、戦争が起こらないように最大の努力をする事は、どの国も同じだと思います。今にも戦争を引き起こしそうな国も、実情は、戦争などしない方が良いのです。
しかし、もし戦争が起こってしまったら、と言う事を考えた時、一つは座して死を待つ覚悟をするか、それとも、身に降る火の粉を払うかです。
私は戦う事を目的にした『空手』を指導していますが、決して戦う事を目的とはせず、『空手道』という、平和の道を模索しています。自らが人格を高揚する事で争いを避ける事ができるのではないかと思っています。
それぞれに考えがあって、一朝一夕に解決する問題ではありませんが、少なくとも憲法に定めてあるから戦争が起こらなかったのではありません。これを平気で言う人がいますが、その人たちは、アメリカの保護下にあったと言う事を忘れてしまったのでしょうか。都合の良い安全保障条約の使い方も、これ以上過ぎると、条約は、一方がメリットがないと思った瞬間に反故にされる約束です。
自分の国が戦争する気がなくても、戦争に巻き込まれる可能性はあるのです。たとえアメリカとの安全保障条約があったとしても、戦争が起これば、戦争の先頭に立つのはアメリカではありません。アメリカは応援団であり、戦闘集団では無い事を、いい加減認識するべきです。
終戦から73年が経っても、自立しない国を、国際社会はどう向かい合ってくれるのでしょうか。そろそろ考えても良いのではないでしょうか。
今朝も爽やかな一日になりそうです。今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第二十八段 〔原文〕
諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ。
倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度ども疎かに、みな人の裝束、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゝしき
諒闇:天皇がその父母の喪に服する期間。一年とされ、臣下も服喪する。
倚 廬:天皇や皇族が、その父母の喪(も)に服するときにこもる仮屋。通例初めの十三日間こもる。
帽 額:「御帳」「御簾」の上部や、上長押などに横に長く引き回した、一幅の布。窠(=瓜(うり)を輪切りにした形の模様。「木瓜」ともいう)の紋を染めるのを通例とした。
平 緒:平打ちの組み紐(ひも)。束帯のときに太刀(たち)を帯びる緒として使った。のち、飾りとなり、束帯のときに腰に巻いて袴(はかま)の前に垂らした。
(出典:学研全訳古語辞典 学研.)