文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【132】

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 今日の文字は『身の丈みのたけ』です。相応そうおうと言う意味です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十一段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 身の丈

 

『今から考えたい!65歳以降の「生活水準」はどうなる?』
(鈴木 雅光(マネーガイド) 2018/11/28 18:30)

「老後生活に不安を抱いている50代の御同輩は少なくありません。なぜ不安なのか。恐らく、老後の生活がイメージできないからでしょう。そこで、あくまでも平均値ではありますが、公的なデータを用いて、老後の生活についてイメージしてみたいと思います。
—–中略—–
ちなみに平均値で見れば、夫婦2人で90歳まで生きたとすると、65歳から25年ですから、不足額は合計で1022万9700円になります。

働けるうちは働くこと
—–中略—–
ここから言えることは、2人以上世帯であろうとも、単身者世帯であろうとも、働けるうちは働くということです。60歳で役職を降りた後、再雇用契約、もしくは転職で70歳くらいまで働いて、毎月の収支の黒字分を貯蓄に回せば、70歳以降の生活は各段に楽になるはずです。

もちろん、70歳まで働くためには、健康も大事になります。50歳以降は資産形成に加えて、70歳くらいまで働ける健康な身体づくりも大事になってきます。」

 おっしゃる通り、働けるうちは、働いた方が良いとは思います。働ける場所がある場合ですが。

 私のように働きたくない場合は除いて、働いた方が健康的で、生活にも余裕が出来ると思います。

 しかし、本当に余裕が出来るかどうかも、判らないのが世の中です。昔、ケセラセラと言う歌がありましたが、「ケセラセラ、なるようになるさ、先のことなど、判らない」と言う一節が歌詞の中にあったと思います。

 現実には、そんな事も言っていられないので、計画を立てて、老後を迎えてください。くれぐれも、私のように適当になり過ぎないように・・・・・。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百三十一段 〔原文〕

 貧しきものは財をもて禮とし、老いたるものは力をもて禮とす。

 おのが分を知りて、及ばざる時は速かに止むを智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて勵むは、おのれが誤りなり。

 貧しくして分を知らざれば盜み、力衰へて分を知らざれば病をうく。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『   貧しい者は財を出すことで礼とし、老人は力を出す事が礼としている。

  自分の分を知り、自分が及ばないと思ったらすぐに止めるのが智慧である。それを人が許さないのは、人が間違っている。
  逆に、分を知らずに無理して励むのは、自分の誤りである。

  貧しいのに分を知らないと、盗みを働くようになり、力が衰えているのに気が付かなければ病気にる。』

 

 

『身の丈』

 ここで言う『分』は身の丈の事を言っています。要するに分相応と言う事です。

 随分「足るを知る」と言う事を書きましたが、これも、「分相応」の分を知る事になります。

 ここでも、兼好法師の反論になりますが、兼好法師の時代では、そうだったのかも知れません。

 ですから、現在の状況を兼好法師に伝えましょう。

 貧困の者は、財を出そうと思っても出すものがありません。いわゆる「無い袖は振れない」のが実情です。

 また、老人は、非力ではありません。それは人によって違います。かなり個人差があると思います。 筋力は、幾つになっても鍛える事が出来ると思っています。今のところ。

 しかし、すぐに衰えていくのも事実です。ですから、常に筋力を維持するための運動は必要です。

 確か、3年か4年ほど前になると思いますが、朝練習している時に、鉄棒にぶら下がったのですが、まるで吊るした肉の塊のように、動けません。

 初めからそうであれば、何も思いませんが、大車輪を平気でやり、大振り、蹴上がりなどは朝飯前、懸垂は学校の先生が止めるまで出来たのにです。

 「えっ」と、一瞬信じられませんでした。しかし、少しづつ、筋力を強化して、10回懸垂ができるようになりました。

 その時の方法を開示しましょう。

  1. 足が付く所で、懸垂の上がり切った姿勢、顎が鉄棒の上になる位です。この姿勢で、少し足を浮かせます。
  2. 1.が出来るようになってから、腕をゆっくり伸ばして行きます。これを何度か繰り返します。上に上がり元の1.の姿勢になる時は、足を着きます。私はこれを10回程度出来るまでやりました。
  3. 懸垂が1回できるようになれば、回数を増やしていきます。この増やしていく期間は、限定しないで、自分が出来る事を自分の身体と相談しながらやると良いでしょう。時には、一週間停滞する事もあります。
  4. 鉄棒の持ち方は、順手でやりましたが、逆手でも良いと思います。まず、回数を10回まで増やすようにします。
  5. 順手と言うのは、手の甲が自分の方に向き、親指が向かい合う握り方、逆手と言うのは、手の平が自分の方に向き、親指が両方とも外に向く握り方です。

 私の場合は、約2か月ほどで、10回出来るようになったと思います。これも、人それぞれ、分相応に。ちなみに、成年男子の平均は、8回以上だそうです。

 この段に書かれている力もそうですが、歳を取ると柔軟性はもっと早くに衰えます。日々の簡単な柔軟体操を心がけています。特に股関節を中心に実行あるのみ。でなければ、どんどん身体は硬くなっていきます。

 『及ばざる時は速かに止むを智といふべし』この言葉、なかなか為になると思います。

 出来れば「分不相応」であるかどうかは、着手する前に分れば良いのですが、途中で気付く場合も、往々にしてあります。そんな時に、意地を張ってしまうのが世の常でしょう。

 速かに止むを智といふべし』止める方が良いと言っています。なかなかこれは勇気がいる事です。しかし、後々の事を考えると、止めるタイミングを逸する事になります。これは『智』と言えます。
 
 『貧しくして分を知らざれば盜み』と言うのはどうでしょう。

 貧しいから物を盗む人もいるかも知れません。背に腹は代えられない心境も分からない分けではありません。

 しかし、私が思うのは、犯罪を犯す人は、病気ではないかと思うのです。盗癖と言う言葉がありますが、私は若い頃、盗癖のある人を知っていました。決して貧乏ではありません。それでも、よその家に行くと、何かを取らないと気が収まらないのでしょう。

 それを周りの人は知っていて、その人が来ると用心していたのです。大した物を盗んだ分けでもなく、ごく親しい人から盗みますから、犯罪者にならずに済んでいます。今頃どうしているのでしょう。

 病気だから許せるとは思えませんが、生まれつき正常と異常の狭間で生きているのが人間です。ですから、どこかの部分でルールを逸脱してしまう要因を持って生きているのかも知れません。

 何度もこのブログでつぶやいていますが、「身の丈」「分相応」を出来るだけ早い時期に、知っておくと人生は生きやすいと思います。きっと幸せになれますよ。

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