今日の文字は『呉竹』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百段』を読んで見て、感じた文字です。
原文 現代文を見る 呉竹
☆『古賀茂明「統計不正で大馬鹿でも極悪人でもない厚労官僚たちがはまった罠」』
(AERAdot. 2019/02/11 07:00)
「—–前略—–」
■官僚は本当に優秀か
—–中略—–
つまり、役所から見れば、幹部官僚は優秀かもしれないが、国民から見れば、「優秀とは限らない」のである。
■官僚「性善説」、「性悪説」、そして「性弱説」
優秀かどうかはさておき、官僚は信頼できるのか、言葉を換えると、「いい人」なのだろうか。
—–中略—–
では、どういう人なのかというと、実は、「普通の人」だ。もちろん、これは、「性善説」か「性悪説」かという観点から見た話で、そういう角度から見ると、「普通の人」とは、普段は信頼して付き合っても間違いのない「いい人」が多いが、信用し過ぎると、時として裏切られて「悪人」のように思えることもある、というところだろうか。
では、官僚が「悪人」、時に「極悪人」となるのはどんなときかというと、「自分の出世」がかかるときと「役所の利権」が絡むときである。
—–中略—–
■キャリア官僚は「諦めが悪い」
—–中略—–
役所は特に横並びの意識が強く、組織の中で、突出して正論を言うと、逆に「裏切り者」扱いされることが多い。
—–中略—–
■「弱い人」が「大きな権力」を持つ怖さ
—–中略—–
結果的に、普通の「弱い人」たちが集まって、保身や利権擁護に走ることで、とんでもないことが起きる。被害は、その組織にとどまらず、広く国民の損害につながるのである。
—–中略—–
■「弱い」から、さらなる深みにはまる
—–中略—–
表に出て謝罪し、責任を取るという勇気がなかったために、傷口を広げてしまった。これも「弱い人」の悲しい性なのだろう。
■今の厚労省には「性悪説」で臨むしかない
—–中略—–
最後に、一人の国民としての立場で勝手なことを言わせてもらえば、政府は信じられないし、国会も信じられない。いっそのこと、日弁連に丸投げして徹底調査してもらったらどうか。もちろん、調査費は厚労省の特別監察委員会に比べれば、何十倍もかかるかもしれないが、それだけの価値はあるのではないだろうか。」
随分、—–中略—–が多く、古賀茂明氏が言いたい事が伝わらないと思いますのです、引用した全文を読みたい人に【AERAdot.2019/02/11古賀茂明】を載せておきます。
私は、この古賀茂明氏がマスコミに出始めた時は、随分説得力のある人で、好感を持っていました。
しかし、この文章を読んだり、最近のコメンテーターとしての仕事ぶりを見ていると、やはり官僚の域を出ているとは思えないのです。
まず、タイトルですが、『大馬鹿でも極悪人でもない厚労官僚たち』とありますが、厚労官僚すべてとは言いませんが、この不正をした人、あるいは組織ぐるみだったとしても、大バカ者に違いありませんし、結果を見れば断罪される極悪人と言えると思います。
往々にして、学校を卒業するまで、ペーパーテストに集中していた人たちは、『優秀』と言うレッテルを貼られています。ですから、長い期間そういう中で育ちますと、マインドコントロールされ、自分が『優秀』と思っても仕方ないでしょう。
しかし、賢い人かと言われると、まったく賢くなる勉強や経験は積まないで、社会に出ている人だと思います。それを『優秀』=『賢人』かのような評価をするのは、如何なものでしょう。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。