文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【67】

 今日の文字は『雉』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第六十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
 昨日、東京書道教育会に再提出していた、2つの課題が帰ってきました。合格しました。昨日の内に、残りの課題3つを投函しました。通信教育最後の課題です。また再提出になると思いますが、あと一息です。

 合格した2つの課題の一つは、先日購入した、「良寛」と言う筆で書いたものです。筆は選んだ方が良さそうです。

 もう一つは小筆で書きましたので、以前から持っている物を使いました。

 内容は、継色紙つぎしきし、伝 小野道風おののとうふう筆、「於本所おほぞらの つき能悲可利のひかりし 遣礼盤ければ 閑希かげみし水 づこ寶里ほり」を臨書したものです。

 もう一つの課題は、半切で今回撮影できませんでした。内容は、かな文字の創作で「天のはら みだれむとする ものもなく ほがらほがらと 朝あけわたる」と言う斎藤茂吉の短歌です。ちなみに、和歌と短歌は現在では同じものと考えても良いと思います。

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第六十六段 〔原文〕

 岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一雙を添へて、この枝につけて參らすべき由、御鷹飼たかがひ、下毛野武勝しもつけの たけかつに仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術、知り候はず、一枝に二つつくることも、存じ候はず」と申しければ、膳部ぜんぶに尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば、己が思はむやうにつけて參らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つ付けて参らせけり。

 武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるに付く。五葉などにも付く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、返し刀五分に切る。枝のなかばに鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所ふたところ付くべし。藤の先は、火うち羽のたけに比べて切りて、牛の角のやうにたわむべし。初雪のあした、枝を肩にかけて、中門より振舞ひて参る。大砌おほみぎりの石を傳ひて、雪に跡をつけず、雨覆ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄によせく。祿をださるれば、肩にかけて、拜して退く。初雪といへども、沓のはなの隱れぬほどの雪には参らず。雨覆ひの毛を散らすことは、鷹は、弱腰を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。

 花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月ばかりに、梅のつくり枝に、雉を付けて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ」と言へること、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『 岡本関白(近衛家平このえいえひらの号、鎌倉時代後期の公卿)が花盛りの紅梅の枝につがいの鳥を添えて、この枝に取り付けよと下毛野武勝しもつけの たけかつという鷹匠に命じたが、「花が咲く枝に鳥を取り付ける方法は知らないし、一枝に二羽取り付ける手法も知りません」と言うので、料理人や他の者にも尋ねた上で「では思うようにやってみなさい」と言うと、武勝は花の咲いていない枝に一羽だけ取り付けて参上した。

  武勝が言うには
「柴木の枝、梅の枝、つぼみの状態か、花が散った後に付ける。五葉の松などにも付ける。枝の長さは6尺か7尺で、返し刀は5分に切る。枝の半ばに鳥を付ける。鳥を付ける枝、踏ませる枝がある。つづら藤のつるを裂かずに、二か所付ける。藤の先は、火うち羽(鷹 の翼の最下部の羽)の長さで切り、牛の角のようにたわませる。
 初雪が降った朝に、枝を肩にかけ中門から肩を揺らしながら入る。大砌おほみぎりの石をつたって、雪に跡をつけず、雨覆いの毛を少し乱暴に散らして、寝殿の隅の欄干に立てかける。褒美を出されたら、肩にかけ、礼をして退く。初雪といっても、履物の先が隠れないような雪では参上しない。雨覆いの毛を散らす意味は、鷹は、鳥の腰のくびれた所を掴んで捕獲するので、この鷹が取った事を見せるためである」と言った。

 花が咲いている枝に鳥を付けると言うのは、どういう訳だろう。

 長月(陰暦九月の別名)の頃、梅の造花の枝に雉を付けて、「主君のために折った花は、季節も問わず咲いている」と言うのを、伊勢物語に書かれてある。造花であれば構わないのだろうか。』
【参照】
鳥柴としば:鷹狩りの獲物を人に贈るとき、その鳥を結びつけた木。初めは柴につけたが、のち季節に応じて松・梅・桜・楓(かえで)などの枝を用いた。鳥付け柴。とりしば。
大砌おほみぎり:寝殿の軒下の、雨垂れを受ける石畳。
雨覆あまおおいの毛:鳥の風切り羽の根元を覆っている短い羽毛。
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)

 

『雉』

 現代文をもう少し、簡単に表して見ました。

 「岡本関白が、鷹匠に花が咲いている枝に、雉をつがいで結わえて持ってくるように命じた。鷹匠は「そんな方法は知りません」と言うと、関白は傍にいる人たちにその方法を訪ねたが、誰も知る者はいなかった。

 そこで関白は、鷹匠の思うままにすればよいと言うので、花の咲いていない枝に一羽の雉を結わえて参上した。

 次に鷹匠が雉を枝に結わえる方法と、それを持って参上するやり方を示した。

 それにしても、だれも知らない、花が咲いている枝に雉を結わえるとは、どういう事なのか。

 伊勢物語にある話を、関白が所望したのか。しかし造花で良いのか。」

 と言った話です。

 ここで、「鳥」と「雉」は同じ扱いになっています。前文の「鳥」は「雉」と置き換えても良いでしょう。

 その時代の習わしとして、鷹匠は、関白のような位の高い人に雇われていたのかも知れません。

 そして、鷹匠の鷹が、獲物である雉を捕獲したら、大威張りで主人に献上したのだと、この文章から推測できます。そして、褒美をもらったら、この場合は、衣類でしょう、肩に掛けて、礼をして退出する仕来りだったことが書かれています。

 ここで、また私の憶測に過ぎませんが、関白は、伊勢物語を読んで、時季外れに「花の咲いている枝」がどうしてあるのか、主人の為に折った枝の花は散ってしまわないのか、普通は一羽が枯れ枝に結わえてあるが、伊勢物語のようにする方法が、あるのかも知れない。と考えての、鷹匠への質問だったかも知れません。

 それで、鷹匠は専門家だから、知っているかも知れない。雉を料理する人なら解るかも知れない。

 そう思って聞いて見たのかも知れません。

 多分、伊勢物語に出てくる、長月の花が、造花とは思わなかったのかも知れません。

 あるいは、鷹匠が主人を喜ばせるために、一工夫して造花に雉を結わえて持ってきてくれることを、期待したのかも知れません。

 これは、その時代の風習、仕来りを書かれていますが、これも、兼好法師がいつ誰に聞いたのか、それとも、岡本関白は兼好法師と同じ時代なので、本人に聞いた話なのか、鷹匠の下毛野武勝しもつけの たけかつに聞いたのか、定かではありません。

 しかしこういう事が、鎌倉末期には行われていたという事は分かりました。

 では、現在とは無関係の事なのでしょうか。

 今では、主従の関係ではなく、お付き合いのある家に、たまに訪ねる場合には、お土産を持っていくのが、普通だと思います。

 そんな時、「のし」を付けると思います。
 「のし」の意味は、普通の贈答の場合、紅白五本の水引を蝶結びにして、贈答品を包みますが、そののし紙に貼ってあります。

 印刷の場合もありますが、この貼ってあるものを熨斗のしと言います。

 「熨」は、しわを熱で伸ばす事で、斗は、柄杓の事です。私が小さい頃までは、電気アイロンが無かったので、柄杓の形の鉄の塊がついた物を火鉢の中に入れ、熱くして、アイロンがけをしたものです。

 昔はアワビを削った琥珀色のものを竹串で伸ばして、熨斗のしを作り縁起のよい物として使われたようです。

  「のし」は寿命を延ばす 鮑は長寿を表すものとして、今では紅白の紙の中に黄色い短冊状の紙を包んで熨斗のしとしています。黄色の短冊の紙が、鮑の代用品になりました。紙の折り方によつて色々種類があるようです。

 「のし」の様に改まった場合でなくても、お金を渡す事は、何かを購入した場合や、食事の支払い、タクシーの運賃の支払いなどの場合は、剥き出しのお金を相手に渡しますが、例えばお礼の意味で現金を渡す場合などは、封筒に入れて渡すのが一般的な礼儀と思います。

 もし、その時に封筒などがない場合は、「裸ですいませんが」と一言断ってから相手に渡すのが普通だと思いますが、これも時代の流れで、変わっているのかも知れません。

 私の空手の友人が、まだ30代の頃ですが、クラブ(飲み屋)に一緒に行ったとき、ボーイさんにチップを渡すのに、自分の会の紋が入ったポチ袋を用意していて、渡しているのを見た事があります。

 これは、ちょっとやり過ぎ、と思った記憶があります。でも、彼は家柄の良い血筋の人です。もしかしたら、彼にとっては当たり前の事だったかも知れません。