【出典:熊本県立美術館 所蔵品 データベース 独行道】
【独行道】には、変体仮名が使われています。
墨蹟原文から読み取る事ができた変体仮名を、毛筆で書いて下の表にまとめて見ました。この他にも変体仮名と思われるものもありますが、墨蹟自体の拡大したものを見る事ができませんので、読み取れる範囲にしておきます。
★下のバーをクリックすると『変体仮名一覧』を見る事ができます!! 変体仮名と言うのは、現在でも、屋号や看板などには見られますが、ここでは「尓」と言う漢字を書いていますが、これは正確ではありません。 前回投稿の『身尓たのしみをたくま須』にも、「尓」と「須」がでていますので、この表を参考にしてください。 ★下のバーをクリックすると『独行道全文』を見る事ができます!!
私が漢字に置き換えた、「須」「寸」も、この漢字が元になり、変体仮名として使われていた仮名文字です。
通常の草書とも若干異なる場合があります。「須」「寸」を元にして出来た変体仮名は、現在では「す」又は「ず」の平仮名を当てます。
「尓」は、「に」の平仮名になり、「よろずにえこのこころなし」と読みます。数種の漢字を元にして、数種の変体仮名ができ、一つの仮名文字を表すのは、現在でも文章の中で、近くに出てきた言葉を続けて使わないようにするのと同じで、美的感覚から来ています。
今、お習字を習っている関係で、臨書をしていますと、変体仮名が良く出てきます。今使う事は無くなっていますが、昔の歌や文章を読むためには必須の知識かも知れません。
依怙と言う言葉の意味を、頼ると解する説が一般的であるようですが、【佛神は貴し佛神をたのま須】と、神仏にも頼らない人が他に頼るとは考えられません。
又、【依怙】と言う言葉を調べて見ますと、
1 一方だけをひいきにすること。不公平。えこひいき。
2 頼ること。また、頼りにするもの。
3 自分だけの利益。私利。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
と、2.の意味もありますが、私は、1.と3.の意味が強いと感じました。
あまり、兵法には関係なさそうですが、単純に考えれば、文字通り、物事に偏って、好き嫌いしない、あるいは、私利私欲で物事を考えない、と言う事なのでしょう。
私利私欲も、末尾が『心なし』ですから、自分の事だけを考えるのではなく、他人の事も考えると理解できます。また、公平・公正な目で見るとも捉えられます。
武蔵は、五輪書の最後でも『たゞしくあきらかに、大き成所を思ひとつて、空を道とし、道を空とみる所也。』と述べていますので、ここでは、1.の依怙贔屓と訳するのが妥当だと思います。
では、なぜ、依怙贔屓しないと誓っているのでしょうか。武蔵は、全て、兵法を基軸に人生を過ごしてきたように思います。
武蔵がこのような文章を残すという事は、やはり、迷いながら人生を送ってきたように思われます。吉川英治(宮本武蔵の小説の作者)氏も、この『独行道』からヒントを得て、人間らしさにスポットを当てたのではないでしょうか。
人間は、自分が好むと好まざるに関わらず、人を好きになったり、嫌いになったりします。また、脳科学の世界では、出会った瞬間、僅か0.5秒で、言葉を交わす前に、すでに好きか嫌いかを決めているという新説もあります。
武蔵も例外なく、恋愛だけではなく、単なる人との関わり合いの中で、ジレンマに陥った事と推測できます。
当然、人との関係で、好き嫌いが出来てしまうと、物事の本質を見通せない事が多分にあります。
特に勝負の世界では、『男子三日会わざれば刮目して見よ』との慣用句に見られるように、決して相手を侮ってはいけないとの戒めもあります。この言葉の原文は、三国志の「士別れて三日なれば刮目して相待すべし。」(出典:三国志演義)が元だと言う事です。
やはり、昔から先入観を避ける努力が、なされていたのだと思います。先入観も思い込みも、意味からいうと、依怙贔屓と同義語です。
私は、社会生活の中で、一番苦労したのは人間関係でした。人間関係が一番ストレスであったと、思っています。どれだけ忙しい仕事でも、どれだけ難しい仕事でも、達成感もあり、やりがいも感じ、逆に幸せであったと思います。しかし、人間関係には本当に苦労しましたし、喜怒哀楽の怒哀が著しく表にでます。その感情を抑える事の方が、私には、仕事よりも苦痛だったと思います。
武蔵も、戦いだけではなく、『よろす』と、色々な事に対してと、断っていますので、人間関係には人一倍、気も使い、苦労したんだろうと思います。
まぁ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の譬えどおり、私の場合は、仕事を辞めてから、そんなストレスからは、解放されています。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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