【出典:熊本県立美術館 所蔵品 データベース 独行道】
【 身ひとつ尓美食をこのま須】、『身一つに美食を好まず』と読みます。やはり変体仮名を左のように使われています。
[尓](に) | [須](す) |
今回も言葉の上では、難しいとは思えません。読んですぐに、言葉は理解出来ると思います。
『好まず』と言う意味合いは、『独行道』の内、8ヵ条もあると書きました。この『身一つに美食を好まず』は、『好き好む』中の『食』にあたります。
武蔵が、どのようにこの言葉を『独行道』の一節に加えたのかを考える事にしましょう。
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記憶というものは不確かなもので、徳川家康の言葉と思っていました。織田信長の言葉らしいですが、他にも、豊臣秀吉、夏目漱石、内田百閒などの説もありますので、誰が言ったのか不明としておきましょう。
昔は、粗食の事を一汁一菜といって、右の写真が正に、一汁一菜です。親戚のおじさんと釣りに行ったとき、お弁当は、日の丸弁当と言って、右の写真のようにご飯の上に梅干し一つが乗せてありました。食べるんだったら、上の写真が良いですね。
私が小さい頃は、第二次世界大戦が終わって間もなくですから、ほとんどの国民が衣食住とも、貧しい生活をしていました。しかし、今よりも心は豊かだったように思うのは、気のせいかも知れませんし、あるいは、歳を取った証拠かも知れません。
時々前回の「欲心」が顔を出す時があります。あまり、人の境遇を羨ましく思ったことはないのですが、それでも、あれが欲しい、これが欲しいと思う事もありました。そんなとき、我慢をする分けでは無く、「起きて半畳寝て一畳たらふく食っても二合半」の言葉が自然と頭をよぎります。欲張ってみても、生きていくのは、必要最小限あれば良いのだと、気付かされます。不思議と「欲心」が頭を引っ込めます。
私は、不動産業をしていた頃は、ちょうどバブルの終焉の頃でしたので、色々な接待を受けたり、またこちらが接待をしたこともありました。ですから、いわゆる美食が当たり前になっていた頃があります。
ある料亭に夫婦でお呼ばれした時は、一食一人5万円位だったようです。お寿司屋に招かれた時も、やはり一食5万円位だったようです。今考えると、もっとありがたく頂けば良かったと思っています。
逆に、ある有名な人と昼食を2年間共にした事がありました。まぁ、ボディーガードのようなものです。毎食ご馳走になるのですが、毎回「うどん」です。意外と私は、流されやすいのか、慣れやすいのか、食に対する欲がないのか、十分においしく頂きました。金額的には300円から500円位でした。
私の人生は、浮き沈みが激しく、昼食はお弁当を作り、ご飯と卵1個で1年間過ごした事もあります。それでも、お腹が一杯になれば、それで満足していました。
では、今はどんな食事をしているかと言うと、朝、焼き芋を70gr位を食べるだけ、昼は麺類。夜は、普通に食べますが、お米は普通のお茶碗に8分目位を1杯食べます。
この焼き芋、皮ごと一食分ごとに切り分け、ビストロで何本か焼いておきます。オーブンにして50分程かかりますが、とてもフックラ美味しくなります。残りは、冷凍しておいて食べます。そして朝、冷凍焼き芋をビストロの[こんがり12分]で温めて食べます。
なぜ、焼き芋かと言うと、腸に良いからです。私にピッタリ合ったのでしょう。小学校の頃から還暦を過ぎても、一ヵ月の間に、まともな便の時が1日か2日あれば良い方でした。
それが、焼き芋を食べるようになってから、一ヵ月に一度、軟便になるか、ならないかです。もう、本当に快適になりました。
そして、前は一日に10回はトイレに駆け込んでいましたが、今は、多い時でも2回、普通は1回で済みます。しかも、便秘になることもありません。焼き芋様様です。
美食は無くても、焼き芋は欠かせません。でも、たまには、豪華な食事も良いのではないですか。バブルのような美食でなくても、一食1500円位までなら、年2回程度は良いのかな、と思っています。
焼き芋には拘りますが、食事に拘る必要もないと思います。自分の経済状態と、健康のバランスさえ取っていれば。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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