独行道を読む
【自他共尓うら三をか古川心奈し】

【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

 【 自他共尓うら三をか古川心奈し】、『か古川』は、『かこつ』と読み、『自他共に恨みを託つ心なし』と読み替える事ができます。下記は変体仮名と元になる漢字、及び読み方です。

[尓](に) [三](み)  [古](こ) [川](つ) [奈](な)

 ここでも、勉強不足から知識のなさが露呈します。『託つ』なんて言葉は、古希を過ぎるまで、聞いた事もありません。

 『託つ』から取り掛かって行きましょう。

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『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

 何かに、『かこつけて』と言う言葉は、聞いた事もあります。もしかしたら、使った事もあるかも知れません。聞いたり、使っていても『託つ』と言う漢字は知りませんでした。

 ここでも、学研全訳古語辞典を頼って見る事にします。
(1) かこつける。
(2) 恨みごとを言う。嘆く。
(3) 頼る。
 と言う意味があるようです。

 『託つ』の前の言葉が、『恨みを』ですから、やはり、(1)のかこつける。か、(2)の中の嘆く、が、ぴったりするように思います。『恨みを口実にする』と「かこつける」を「口実にする」と替えると意味が通じそうです。(2)の場合は言葉が被さってしまうので違和感があります。

 そう考えると、「自他共に恨みを口実にする心なし」となります。 それでも、自他共にとなると、私には意味不明です。さっぱり、分かりません。

 参考文献によると、「自他共に」を「己についてであれ、他人についてであれ」と訳していますが、私にはピンと来ません。他人を恨むことはあっても、自分を恨む人はいないと思います。もし同じような感情があるとしたら、自分を苛む(さいなむ)事はあったり、後悔したりすることがあっても、恨むことは、余程第三者的なものの考え方をしないと、浮かびません。
 それでも、主客を逆転して、他人が恨む事自分が恨む事とすればどうでしょうか。

 そこで、『自他共に』と言う言葉を、もう一度考えて見る事にします。通常は、「自他共に認める」とか「自他共に許す」と言う風に、使います。ここまでなら、分かります。

 自他共にと言う言葉は、ある事に対しての評価が、自分も他の人も同じ時に使う言葉ではないでしょうか。
 『自他』と言う言葉と、『共に』を、同列に扱わないで、他人が恨む事も、自分が恨む事も理由にしない、と考えて見ましょう。

 そうすると、自分が恨みに思う事に対して、その恨みを元に(かこつけて)相手を斬る』あるいは、『他人が恨んでいる事に同情して(かこつけて)、その恨みの相手を斬る』と、読み替える事ができ、『かこつ心なし』の言葉も、すんなり合点が行くようになりました。

 武蔵の言葉には、現在使われている日本語の、文法上の使い方とは、違った使い方がされているのかも知れません。これが武蔵の時代の言葉の使い方かどうかは、私には分かりません。

 言葉を分析する事は、専門家に任せるとして、この文章から、何となく私がイメージできるのは、『何事によらず、誰かに責任を転嫁する気持ちはない』。あるいは、『何かがあっても、人のせいや、物のせいにして恨み言を言う事はない』
と、読み解く事にしました。

 「恨み」と言う言葉を考えないで、「かこつ」だけに焦点をあてれば、源氏物語の一節「よからぬ人こそ、やむごとなきゆかりはかこち侍るなれ。」のように、高貴な人を当てにして『虎の威を借りる狐のような振る舞いはしない』と言えるのですが、少し武蔵の言いたい事とは、違うのかも知れません。 

 兎角、人は他人のせいにして、自分の責任を回避しようとします。私も、随分そんな人を見てきました。男の風上にも置けない人が、現実に沢山います。

 生きるって、そんなに自分に都合の良いように行くものでしょうか。自分に都合よく行かないから、人生は面白いのです。

 『天知る地知る吾知ると言う故事の通り、公明正大に生きる事が、自分にとってもストレスなく、つまらない事で、後ろめたい気持ちにもならないと、思うのですが。

 残念ながら、社会では、そんな責任転嫁をする人が、出世する場合も多く見てきました。なんだか、釈然としないですね。

 それでも、私は、自他共尓うら三をか古川心奈しと、武蔵が言うような生き方を好みます。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.