「五輪書」から学ぶ Part-22
【水之巻】表第三の次第の事

   五輪書から】何を学ぶか?  

 秋は、運動会の季節です。先日も隣の校庭で小学校の運動会が催されました。昔とは随分様変わりしているようで、聞こえてくる音楽も最先端の音楽だと思います。もちろん時代の流れに、なかなかついて行けていない、私には解りません。

 ニュース番組で、この頃の運動会は、親と一緒にお弁当を食べる事も、休みに、親の所に行くことも禁止されている所があるそうです。親が来れない子供のためと言う事らしいです。
 少し、窓から見物していましたが、最後は恒例のリレーと思っていましたが、それも無くなっていました。

 子供もいずれは大人になり、否が応でも競争の社会に放り出されます。動物の世界でさえ、親は過酷な社会で生き抜くための方法を、子供に強く教えています。

 人間は、知恵があるから、野蛮ではないのでしょうか。しかし、いつの時代でも、どこかで戦争がありました。
 資本主義社会であっても共産主義社会であっても、競争の原理が働くのは、仕方がないのかもしれません。

 武蔵が言うように、勝つための利を考え続けるというのも、極端なのかも知れません。しかし、平和な現代人こそ、勝つための利を、理解する知恵があっても良いのかも知れません。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
11. 表第三の次第の事
12. 表第四の次第の事
13. 表第五の次第の事
14. 有搆無搆の教の事
15. 一拍子の打の事
16. 二のこしの拍子の事
17. 無念無相の打と云事
18. 流水の打と云事
19. 縁のあたりと云事
20. 石火のあたりと云事
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
11. 表第三の次第の事 (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 第三の搆へ、下段に持ち、ひつ下げたる心にして、敵の打ち懸るところを下より手を張るなり。手を張るところを、また敵、張る太刀を打ち落さむとするところを、越す拍子にて、敵打ちたる後、二の腕を横に斬る心なり。下段にて、敵の打つところを一度に打ち留むることなり。
 下段の搆へ、道を運ぶに、速きときも遅きときも、出合ふものなり。太刀を取つて鍛練べきものなり。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』

 11. 表第三の次第のこと

 第三の構えとは、刀を下段に下げて構え、敵が打ち懸かってくる所を、下から相手の手を弾くように撥ねる。相手の手を撥ねようと思い、これが外れ、敵がその撥ねようとした刀を打ち落とそうとするとき、相手の刀を外し超える拍子で、敵が打った後にその敵の二の腕を横から斬る気持ちである。
 下段の構えに戻り、敵の打つところを捌いて同時に仕留める。下段の構えから刀を振る場合は、速い時も遅い時も、相手の攻撃と交差するものである。鍛練する必要がある。

 『私見』

 武蔵が言う構えは、上段、中段、下段、右脇、左脇の五つしかないと言っています。不思議に思うのは、この構えの種類では、よく試し斬り(居合道)で見られる、袈裟斬りと言う技は、二天一流にはない事になります。

 上段の構えからの次の一手、中段の構えからの次の一手は、いずれも逆袈裟斬りに酷似しています。
 この五つの構えに対して、武蔵は、二天一流、すなわち二刀を自由に操る流儀である、と断言しながらも、一刀のみを具体的に、現在で言えばカリキュラムにあたるものを書いています。これにも、意味がありそうです。『五輪書』を読み進めていく事で解決しそうに思います。

 これは、近代剣道では分かりませんが、空手では非常に有効な方法だと思っています。自分の攻撃は、常にこの一手で相手を制する気持ちでするのですが、その攻撃が外された場合の事を、考えるだけではなく、身に付けなさいと言っているように思います。

 人間の上半身の動きは、上から下への動作は比較的やり易いものです。特に重い物を振る時には、重力を利用して上から下へ打ち下ろす方が、理にかなっていると言えるでしょう。
 しかし、真剣勝負では、理に適わないからこそ、勝つための利につながるのではないでしょうか。

 この稽古を通じて、返す動作が、下から上への切っ先の動きに熟達すれば、技と言うより、術になり得ます。
 私が言う術と言うのは、物理学ではなく、生理学で解明できるような、合気上げのような、技、と言う意味で使っています。

 いわゆる、種はあるのですが、それを実現するために、相当の技能が必要な、奇術のようなものです。これを目にした人は、驚きに心が居ついてしまうでしょう。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.