「五輪書」から学ぶ Part-15
【水之巻】兵法の眼付と云事

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   五輪書から】何を学ぶか?  

 「目は口ほどにものをいう」という諺があります。また、目は心の窓とも言います。目と心の繋がりは深いものだと言う事は、経験のある人も多いかと思います。人は動揺すると目に現れます。また人を威圧しようとする人は、目で人を威圧します。逆に侮られないよう目力で対抗しようとします。目は自信の表れのように感じています。

 さて、その目を如何にして活かす事が出来るかが、問題です。

 個人的には、外見で人を判断したりする事は、極力しないようにしています。相手が目や言葉によって威圧しても、空振りに終わってしまうように、常日頃から癖を付けています。
 人の振り見て、我が振り直せと言うではありませんか。なんだか、外見で人を圧倒するやり方に、上品さを感じないようになったからです。

 それでも、学生の頃までは、目の表情で人を威圧していたのでしょう。私の先生[故佐々木武(日本空手道致道会創始者)]から、若い時に、言われた言葉があります。『良い刀は鞘に入っているものだ。抜き身で歩いてはいけない』と。また、先輩に『お前は人殺しの目をしている』と言われましたが、全く自覚はありませんでした。おそらく、小心者の裏返しでしょう。

 ここで言うところの目付は、少し趣が違います。どちらかと言うと、 不動智神妙録 Part3応無所住而生其心に書かれてある『万の業をするに、せうと思ふ心が生ずれば、其する事に心が止るなり。然る間止る所なくして心を生ずべしとなり』のように、『何かをしようとすると、しようとする事に心が止まってしまう。この止まる心が生じないようにしなさい。』に通じる、目の働きを書き表しているものと考えています。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
 4. 兵法の眼付と云事
 5. 太刀の持様の事
 6. 足つかひの事
 7. 五方の搆の事
 8. 太刀の道と云事
 9. 五つの表の次第の事
10. 表第二の次第の事
11. 表第三の次第の事
12. 表第四の次第の事
13. 表第五の次第の事
14. 有搆無搆の教の事
15. 一拍子の打の事
16. 二のこしの拍子の事
17. 無念無相の打と云事
18. 流水の打と云事
19. 縁のあたりと云事
20. 石火のあたりと云事
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
4. 兵法の目付けといふこと (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)

 

 眼の付やうは、大きに、広く付る眼なり。
 観・見二つのこと、観の眼強く、見の眼弱く、遠きところを近く見、近きところを遠く見ること、兵法の専なり。
 敵の太刀を知り、いささかも敵の太刀を見ずといふこと、兵法の大事なり。工夫あるべし。その目付け、小さき兵法にも、大きなる兵法にもおなじことなり。眼の玉動かずして、両脇を見ること、肝要なり。
 かやうのこと、忙しきとき俄には弁へ難し。この書き付けを覚え、常住この目付けになりて、なにごとにも目付けの変わらざるところ、よくよく吟味あるべきものなり。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた

 『現代文として要約』
 4. 兵法の目付けということ

 目は視野を広く大きくすること。
 観る、見る、二つの違った使い方があり、観の眼の使い方を主に、見の眼の使い方は従にし、遠くを近い所を見るように見て、近くを遠くを見るようにすることが兵法においては重要である。
 相手の刀の動きは感知しているが、凝視することはない、これが大切である。この目の使い方は、一対一でも合戦においても同じである。眼の玉を動かさないで、両脇を見えるようにすることが大事である。
 このような眼の使い方は、心が乱れている時に急にやろうと思ってもできない。日ごろから訓練して、常にこのような目で物をみる習慣を作ることが大切なので、よく習得すること。

 『私見』
 この「観・見」の眼について稽古したのは、まだ成人式を迎える以前の事と記憶しています。高野山で朝夕稽古していた頃も、カリキュラムの中に入れていました。

 私の練習方法は、至って簡単です。

 壁、あるいは、木の前に立ち、ただただ見続けるだけです。しかし、壁や木との間は、僅かに50センチ程にします。30センチでは近すぎます。70センチでは遠すぎます。50センチの距離から、目は真直ぐ目の高さを見るのです。ぼんやりですが、地面と木の根っこの境目、あるいは壁と床の境目が見えるはずです。

 初めの内は、目まぐるしく目が動き回り、真直ぐ前を見ていられません。それでも、真直ぐ見て、目が動かないようにします。コツは凝視しないで、眼の焦点を木や壁より遠くに置く事です。ようするに、木や壁に焦点を合わせず、ぼんやりと見る事です。

 このぼんやりと見る事が、私が得たコツと言えます。ぼんやり見えている事を、見ていると認識することです。私は近視乱視ですから、眼鏡を外して見ているのと変わりません。これで慣れると、眼鏡をかけていない方が、組手はやり易くなります。

 この見方の習慣を身に付けたら、次は、動いているものを観ます。例えば、春であれば、桜の花びらが散るのを、木を見ながら、花びらを感知します。秋には、木の葉が枯れて、落ちるのを眺めます。
 山の中や公園が近くにない時は、車道を見て、遠くのビルを見ながら、走る車を認識します。
 時には駅のホームで、入ってくる電車の横に表示してある、行先を認識できるようにしました。片っ端から目を馴らすようにしていました。

 この見方は動体視力とは違うように思います。ですから、先天的に動体視力が良い必要がありません。練習すればだれでも体得できるのではないでしょうか。

 方法は至って簡単ですが、なかなか初めの、ぼんやり見続ける事が、難しいと思っています。眼がキョロキョロしなくなったら、半ば成功と思っても良いと思います。
 
 ちなみに、前回の 「五輪書」から学ぶ part-14に書かれてある、『眉間に皺を寄せて、眼の玉の動かざるやうにして』のようにはしていません。眉間に皺を寄せず、顔のどの部分にも力を入れず、ただぼんやりしている状態で、反応できるようことを習慣にしています。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.


 
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