【出典:熊本県立美術館 所蔵品 データベース 独行道】
『五輪書』でも昔の言葉と、武蔵独特の言葉使いに頭を捻りましたが、ここでも、文学的と表現すれば良いのか、文学自体に造詣が深くないので、【身をあさく思世越ふかく思ふ】にも、言葉の意味を解読するのに苦心しました。
ちなみに、ここでも、左の変体仮名が使われています。[越]と言う漢字が元になっています。読み方は『身を浅く思い世を深く思う』と読みます。
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『身をあさく』の『あさく』を「浅く」と漢字にすると、言葉の意味は、文法的には少し違うのかも知れませんが、とりあえず『浅い』を調べて見ます。
1 表面から底まで、また入り口から奥までの距離が短い。深さが少ない。
2 物事の程度や分量、また、かかわりなどが少ない。
3 その状態になってから日数や時間が少ししかたっていない。
4 色が薄い。淡い。
5 香りが淡い。
6 位や家柄が低い。
7 情愛がうすい。
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)
とあります。
その後に出てくる『ふかく』を「深く」の漢字を当てはめ、文法的な違いを無視して、『深い』と言う言葉を調べますと、
1 表面から底まで、また入り口から奥までの距離が長い。
2 物事の程度や分量、また、かかわりなどが多い。
3 色合いが濃い。
4 密度が濃い。また、密生している。
5 かなり時がたっている。また、盛りの時期にある。たけなわである。
6 多く「…ぶかい」の形で、名詞、またはそれに準じる語に付いて接尾語的に用いる。
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)
どちらも、現在の言葉を調べたところ、武蔵の言う言葉の意味では無いように思いました。古文での使い方を調べても、合致するような答えは出ませんでした。
私は、『身をあさく』と言うのは、自己中心的な考えを否定する、もしくは、自分勝手な考えを抑制する、あるいは、自分を優先的に考えない、と言った意味であろうと思っています。
したがって、『自分中心に考えることなく、世の中の事を優先する』という事では無いのでしょうか。
『独行道』としながらも、我道を行くわけではなく、世の中との調和の中でこそ、自分の存在を活かせると、考えていたのではないかと思います。
これは、私が常に思い、また、 髓心とは
の中でも記述しましたが、人間は「社会的動物」である、と同じ意味では無いかと思います。
この言葉を書くに至っては、武蔵も、自己と他とのバランスを取る事に苦労する時期があったように、推測します。私も例外なくこの問題に苦労しました。その結果、人は「社会的動物」であるとの結論に至ったのです。
前にも述べましたが、『独行道』は、人(寺尾孫之丞)に与えたとはいえ、「自誓書」と言われています。自らの生き方の反省から、早い時期に、この事に気がつけば、もっと悩まなく生きる事が出来たのに、と思っていたからこそ、出た言葉だったのではないでしょうか。
私も、立場上、色々教訓めいた事を言ってしまいますが、それは、自分を振り返ってみて、もっと若い頃に気がつけば良かった、という思いから伝える事が殆どです。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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