文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【175】

 今日の文字は『大事だいじ』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百七十四段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 大事

 

☆焼き肉屋の玉子スープ 1人前 簡単に。

  1. 用意する物
    (1)玉子 1個
    (2)創味シャンタン又は味覇(ウェイパー) 小さじ1杯
    (3)ネギ 少々
    (4)ゴマ 大さじ1杯
    (5)ゴマ油
  2. スープ
    (1)飲む量だけのお湯を沸かす
    (2)沸騰したら火を消して創味シャンタンを【小さじ1杯】
    (好みの味に足して下さい、ただし足りないかな、くらいが良いでしょう。)
    (3)塩コショウで味を調える 。[塩は入れなくても良いでしょう]
    (4)ゴマ油を【大さじ1杯】
  3. 仕上げ 
    (1)玉子を別の容器に割ってかき混ぜる 。一人分だと玉子は多いと思います。適量にしてください。私はもったいないから入れます。
    (2)スープを沸騰させる。 
    (3)沸騰したスープに玉子をかき混ぜながら入れて、ネギとごまを振りかける 。

☆玉子の代わりにワカメを入れるとワカメスープになります。
私は両方入れる派です。
 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百七十四段 〔原文〕

 小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹に惡くなるといふ。大に就き小を捨つる理、まことにしかなり。人事多かる中に、道を樂しむより氣味深きはなし。これ、實の大事なり。一たび道を聞きて、これに志さん人、いづれの業かすたれざらん。何事をか營まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。

 

 

『現代文』

『小鷹狩に合う犬を、大鷹狩に使うと、小鷹狩に適さなくなると言う。
大の為に小を捨てる道理は、その通りである。人は多くの事を行うが、仏道に精進するより興味深いものはない。これは実に大切なことである。一度仏道を聞き、志す人は、その他の事は止めて、何も励まないだろう。愚かだと言われても、賢い犬より勝っている。』

 

 

『大事』

 今回も、何とも理解するのが難しい文章です。まず、引っかかるのが、『賢き犬の心に劣らんや。』と言う最後の言葉です。なぜ、賢い犬と比べているのかもわかりません。そして、その賢い犬より劣らないからといって自慢になるのでしょうか。

 小鷹狩りに使っていた犬が、大鷹狩りをしたからといって、小鷹狩りを馬鹿にするとは思えないし、ただ大鷹狩りに向いていたとは判断しないのですかね。適材適所といいますから。

 寄らば大樹の陰といいますが、この場合は勢力のない下についても埒が明かないと考えて大をとる損得勘定とでもいう話しだと解釈すると、もっともな話です。

 しかし、猟犬の話とは、根本的に違うと思います。まして、人間が決心して仏道に目覚めた事と、対比できるものでもないでしょう

 末法の世の仏道がそれほど立派なものだとは思えませんが、ここでは立派な物と断言していますので、それに従う事にしましょう。

 ならば、そんなに一大決心した事を、他人に馬鹿だと蔑まれようと、決心は変わらないはずです。なぜ、この決心をした人が、賢い犬と比べられなければならないのでしょう。

 初めに書かれた猟犬が大鷹狩りに鞍替えしたのを、賢い犬と言いたいのでしょうか。

 薄々、兼好法師の言いたい事は伝わりますが、伝え方に問題あり、と思います。

 もし、私がこのテーマを元に文章を書くとしたら、

 「仏道に志を持つ者は、世情の考えを捨て、たとえ人から、汚いなりをして、とか、働きもせず、とか非難をあびる事があったとしても、初心を忘れず精進する事が、煩悩具足である人間から逃れ、生きながら仏になれる事を信じるべきである」

 とでも、書くと思います。「大それた事を言うな」と言われそうですが。