【出典:熊本県立美術館 所蔵品 データベース 独行道】
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【老身尓財寳所領もちゆる心奈し】『老身に財宝所領もちゆる心なし』と、変体仮名を仮名文字に替え、旧字体を新漢字に替えて見ました。
今回も、特に難しい文字はありません。武蔵の時代には、所領と言うものがあり、今で言えば地主の事ですが、少し違うのは謀反など重大な犯罪を犯した場合は、没収されたそうです。
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またまた、意地悪な見方をすれば、所領が望みだった可能性があるのではないかと、下衆の勘繰りをしてしまいます。
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私は昔から、宮本武蔵の印象は、非常に欲深い人であったと、思っています。ただ欲深いかと言うと、そうではありません。それは、自分への評価と、人が評価する事に、かなりの解離があったのではないかと思うのです。
私もすでに古希を過ぎ、『足るを知る』事が、人生にとって如何に大切かが分かるようになりました。
しかし、自分では思っていなくても、私も、自分がする自分への評価と、他人が自分に対する評価に隔たりを感じていたと思っています。
今までの人生を振り返ってみますと、過分な評価を貰っていたのかも知れません。ほどほどの才能と、ほどほどの能力に、少しばかり行動力と体力があっただけの人間に対しての評価としては、十分過ぎたと思っています。
入社して僅か一週間で、社長から工場長に抜擢された事がありました。不動産会社に入社した時など、一年で営業部長に就任したり、パンの製造会社では、3ヵ月で課長の職を望まれたりと、普通に考えれば喜ばしい事なんですが、私は素直に喜ぶ気になれなかった記憶があります。ハッキリ言って、身の程知らず、だったのでしょう。
確かにどの職場でも、結果は残してきました。その結果を得るために、人の倍は、いやそれ以上仕事をしたと思います。東京で支社長をしていた時は、3年間1日も休みを取りませんでした。労基法違反ですけど、すでに、時効だと思います。時代が違うと言われそうですが、自分では、シャカリキに頑張って来たとは、思っていません。働くと言うのは、そんなもんだと思っていました。
武蔵は『老身に財宝所領もちゆる心なし』と、足るを知ったのかも知れません。私などは、老身は同じですが、親からの財産も家土地も残す事は出来ませんでした。ですが、武蔵ではないですが、後悔はしていません。『心なし』ではなく、『老身に財宝所領もちゆる能力なし』という事だと『諦観』しています。
私は争いごとも嫌いですし、勝負も好きではありません。ただ、一旦勝負と覚悟を決めた時には、絶対に勝つ意思を強く持つ事が大切です。
競技の場合でも、勝つ意識が強い人が勝つように出来ています。もちろん、能力が均衡している場合に当てはまるのですが、意外と自分よりも能力のある人にも、勝つ意識の強さで、勝てる場合もあるのです。
武蔵の場合は、勝負を懸けて戦う時、必ず勝つ事を優先しています。ですから、その覚悟をするために、他の趣味趣向生き方などについて、心が惹かれないようにしているのだと思います。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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