【五輪書から】何を学ぶか? |
またまた、昔の言葉が出てきました。取りあえず、「まぶるゝ」と言う言葉を調べておきましょう。
「塗る」と書いて、「まぶる」と読みます。この場合は、「まぶす」と同じ
意味です。また、「守る」と書いて、「まぶる」と読みます。出典:デジタル大辞泉(小学館)
ちなみに、異なった材料を合わせる場合に使う料理用語には、「混ぜる」「和える」「まぶす」と言う言葉の違いがあります。
「混ぜる」は二種類以上の食材を一緒にする事、「和える」は、食材に調味料など味を加えて、混ぜ合わせる。そして、「まぶす」とは、粉などを食材全体に付着させる事(NHKの放送を参照)と分けています。この場合はいずれも混ぜ合わせる事を指しています。
武蔵がどのような気持ちで、「まぶる」と言う言葉を用いたかについては、分かり様がありませんが、前後の文章から、「混ぜる」と言う気持ちで「まぶるゝ」と言う言葉を使ったと仮定する事ができます。
敵と味方を、分けがたいほど混ざり合った状態を、想像しておくことにします。(絵は、関ケ原の戦いです)
【火之巻】の構成
16. まぶるゝと云事
17. かどにさはると云事 18. うろめかすと云事
19. 三つの聲と云事
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
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16. まぶるゝと云事
まぶるゝと言うのは、敵との間合いが近くなって、互いに強く張り合って膠着してしまうと判断する時は、そのまゝ敵と混じり合って、その中で有利になって勝つ事が肝心である。
大勢でも少数でも、敵と味方を区別していたのでは、互いに優勢に立とうとして優劣がつかない時がある。その時はそのまゝ的に紛れて、敵味方分けようがない状態にして、その状態の中で勝つ方法を見出し、見つけられたら瞬時に強くでて勝つのが良い。よく研究する事。
【広告にカムジャムという物を載せましたが、巻き藁を木にくくり付けるのに使っています。これはとても便利です】
『私見』
武蔵は、一見矛盾したことを、得々と書き綴ります。例えば、 はりうけと云事では、同じように膠着状態から抜け出す方法が書かれてあります。他のテーマでも基本的には、手詰まりを解消するために書かれたものが多いと思います。しかし、その方法は、「押してもだめなら引いてみろ」式の事が書かれています。
しかし、ここで言われる場面では、一転、「押してもだめなら押してみろ」と、違う手段を提供しています。
この矛盾するところが、武蔵が実戦的である事を象徴しているのではないでしょうか。
通常、理論展開する場合は、同じ線上で方法を論じていきます。上記のように、手詰まりを解消するためには、「引いてみる」方法を幾つも重ね、やっぱり引くことが最善であると、締めくくれば、矛盾を感じないで済みます。
しかし、実際には、引くに引けない場合も出てくるのが、現実です。そのための心構えが、「まぶるゝと云事」として書かれています。
残念なのは、「まぶるゝ」ところまでは、理解出来ました。それでは、混戦、いや混乱状態から、どうすれば、抜け出せるのでしょうか。それが、武才と言われるものでしょうか。
前回まででも、じゃ、どうすれば良いのか、と答えを求めたくなる記述が幾つも出てきます。
明治のチョコレートの「教えてチョコ先生!」というCM。「コツコツ食べればいいんですよ!毎日!」と、言われそうですが、やっぱり、「朝鍛夕錬」の通り、稽古して自得する以外に方法はなさそうです。
仕事でも、その時々に、解決策が頭に浮かび、実行できる人が求められます。
なぜ、解決策がいとも簡単に浮かぶのでしょうか。その答えは、意外とシンプルです。私がいつも言う、「体験」を通じて「経験」としてしまう事です。
要するに、引き出しをどれだけ多く持つかが、鍵です。
「体験」を通じて「経験」にするためにする事があります。「体験」と言うのは、万人が、一刻一刻、日々、年年歳歳、意識する必要もなく、見るもの、聞くもの、触るもの、全てを「体験」しているのです。ただ、残念ながらその記憶を呼び覚ます機能を、通常、人間は、備えていないのです。
色々な方法があるのでしょうが、それを知る由もありません。ですから、ここでは、私が「体験」を通じて「経験」としている方法を開示してみましょう。
それは、反芻する事だと思っています。反復ではありません。私が反芻と言っているのは、機械的に反復するのではなく、身になるように咀嚼を繰り返すという事です。牛ではないから反芻などできません、と反発を受けそうですが、どういう事かと言いますと、成功体験を繰り返すのではなく、失敗体験をした時に、しっかりショックを受けるという事です。特に若い時には、悩み苦しんだ方が経験値が増えます。
こんな事を言うと、年間3万人と言われる自殺者を増幅してしまいそうですが、悩み苦しみも青春だと思いましょう。悩み苦しんだ数だけ、発想力が豊かになり、アイデアが浮かび、人の心もわが心のように分かるようになるものです。そして、その悩み苦しみに潰されないような人間に成長する事が、強くなるという事であると、自覚して下さい。
しかし、悩み苦しむ方法を、守って下さい。何事にも仕方があると、常々口癖のように言いますが、特に悩み苦しむ場合には、仕方を間違えると、「鬱」と言う病気になってしまいます。
何のために苦しんでいるのかを明確にすることです。それは、失敗の印象を頭に刻む事が目的です。悩みを解消するために、考え込んではいけません。苦しみを解決しようとしては、いけません。頭に刻む事ができれば、目的は達せられたのです。
悩みも苦しみも、全て自分の僅かな経験と記憶から、解決策を導き出そうと、頑張ります。しかし、自分で考えるのですから、当然堂々めぐりで終わるのです。ですから、初めから解決出来ない事は、解決出来ないのです。
「鉄は熱いうちに打て」「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言うではありませんか。しかし、出口をしっかり定めて、苦労してみてはどうでしょうか。
出口は、頭に刻む事なのです。その積み重ねがあってこそ、何かあった時に、必ず良い解決策や発想、あるいはアイデアが浮かぶものです。「体験」から「経験」に昇華させたのですから。それは、知識を越え、智慧となって自らを救ってくれます。
【参考文献】
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html
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