【五輪書から】何を学ぶか? |
もしも、自分が超人だったら?
なんて事を考えた事、ありませんか?
私はあります。超人と言うより超能力者になりたいと、今でも思っています。
残念ながら、生きている間には、叶いそうにはありません。
今回は、超人とまでは行かないまでも、相手との体格差や人数の差、あるいは、技量の差などが歴然としている場合の、戦い方を書いています。
自分が相手より強いのだから、別に気にしなくても良いのではないかと、普通は思いますね。ところが、武蔵は、そんな時にも、確実に勝てる方法を日々考えていたのでしょう。
私には苦い体験があります。 横蹴りの思い出に書きましたように、普通に対戦すれば九分九厘勝てる相手に、横蹴りをくらい、七転八倒した思い出があります。
そうなんです、気持ちの問題が大きいですが、やり方を間違えると、勝てる相手に負けてしまう事もあるのです。
確かに会社員でも、高圧的な人が支配する場合が多いですが、この場合には、傲慢な人は嫌われますけどね。
それが競争相手で、且つ弱小企業の場合は、利益誘導ができやすいかも知れません。それにしても、なんだか釈然としない気持ちになるのは、私だけでしょうか。
【火之巻】の構成
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
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21. ひしぐと云事
ひしぐと言うのは、例えば、敵が弱いと判断して、自分は強めになって、ひしぐと言う気持ちが主になる。
合戦でも、敵が少しの人数の場合を見透かして、又は、大勢であっても、敵が動揺している場合は、その弱みに付け込んで、ひしぐと言って、上から嵩(かさ)に懸かって、おしひしぐ気持ちである。
ひしぐ事が弱いと右往左往する事がある。手の中で握りひしぐ気持ちをよく判断する必要がある。
又、一対一の戦いでも、自分より弱い者、又は、敵の拍子が狂って、後退り気味になった時、少しも間を置かず、相手と眼を合わさないようにして、真直ぐにひしぎ通す事が大切である。少しも反撃させる余裕を与えない事が第一である。よく研究する必要がある。
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『私見』
「ひしぐ」と言う言葉は、柔道の関節技「腕挫十字固」(うでひしぎじゅうじがため)のように現在でも使われていますが、あまり馴染みのある言葉ではありません。漢字も「拉ぐ」と書くのが一般的でしょう。
ボクシングやレスリング、柔道に見られるように、体重により階級が決められている場合があります。空手競技でもフルコンタクトの場合は、階級があるようです。
しかし、相撲のように階級制を採用しない事で、又、違った良さもあると思います。本来格闘技とは、そんなものだと思っています。
私も、高校の時は少し柔道もかじっていた事があり、と言っても授業の延長線上ですが、結構同年代の中では強い方でした。しかし、その当時の柔道の先生は、身長が180cm位で、体重が多分130kg位で、見た感じは四角でした。私が165cm、62kgでしたから、体重差が68kg、組み合うと岩のようにどっしりとしていて、まったく動きません、寝技で上に乗られると、身動きが取れません。もちろん、技だと思いますが、柔道を断念した事を覚えています。
その頃の私は、懸垂のテストでは、体育の先生から途中で止められる位、何回でも出来ましたし、跳躍力や走り幅跳びでも校内ではトップクラスでした。逆立ちで、100mを歩く事も出来ましたし、片手で逆立ちをして腕立て伏せをする事もできました。それでも、まったく通じませんでした。
なぜ、こんな話をするのかと言いますと、空手の場合は、「人の手足を剣と思へ」と松濤二十訓(船越義珍先師)に書かれていますので、相手と体重や身長で競わない事を念頭に置いていました。ですから、相手に勝つためには、如何に相手の攻撃を躱し、受けて崩すかに心血を注いでいました。
しかし、実戦となると、そんな綺麗ごとで済むわけはありません。自分より弱いと思えば、力づくでねじ伏せるのも、技の一つだと思います。
特に、自分より軽く背丈の低い人の場合は、速さにおいては自分より優れている場合が多いのです。そんな時は、「ひしぐ」と言う戦術が功を奏します。
【参考文献】
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html
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