【五輪書から】何を学ぶか? |
毎回毎回、言葉に翻弄され、すんなり読むことが出来ません。今回も「まぎる」と言う言葉に、すっかり考えさせられました。
古文や昔の書籍を、現代文に翻訳されている人達は、大変な作業だと、今更ながら感心しています。しかも、「五輪書」のように、実際の戦いを経験することのない現在では、より苦労する事でしょう。
しかも、戦争体験者だから分かると言うものでもないと思います。
武蔵は、常に「〇〇〇と云事」は、と、その次に説明を書き記していますので、今回は「まぎると云ハ」の次の言葉に期待をしながら、読み進めたいと思っています。
よく会社などの研修で、講師を呼んで話を聞いた事がありますが、研修と言うのは、学生時代の授業と同じで、どうも生理的に合わないのか、講師の言う事が頭に入ってきません。特に一つの単語が分からない時は、その単語に引っかかってしまって、次の言葉が耳に入らず、結局、終わってみれば、皆目分からない、と言う結果になってしまいます。
それで、良くこのブログを書けると、思われるかも知れませんが、文明の力と言いますか、この40年位の間に、世の中は進み、コンピュータが目を見張る発展をとげ、その恩恵にすがって、「五輪書」を読み、この文章を書いています。
思い起こせば、百科事典からイミダスに頼り、今や、分からない事があれば、すぐに「ググる」と答えを返してくれます。もう30年も前になりますが、イミダスが創刊されたときは、あんなにも感激したのに、今や見向きもしなくなりました。
インターネットの世界では、出所さえしっかりしていれば、こんなに便利なものはありません。いまや、「ググる」は古く、「Twitter」が取って代わるというニュースもあります。どこまで便利になるのでしょう。
【火之巻】の構成
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
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20. まぎると云事
まぎると言うのは、合戦の時に、敵味方の軍勢が向かい合った時、敵が強いと思う場合は、まぎると言って、敵の一方へかかり、敵の崩れが見えたら、直ぐに、又強い方に懸かる。概ねつづら折りに順次懸かる気持ちである。
一対多の戦いでも、敵が大勢の場合はこの方法が良い。あちらこちらに懸かり、あちらこちらに逃げ、又敵の強い方に懸かり、敵の出方によって、よい拍子に、左、右と九十九折りのように、敵の反応を見て懸かるものである。
その敵の勢力を知り、懸かり通れる時には、少しも怯まず強く勝つのに役立つ。
一対一の戦いでも、敵が強いと思ったら、そのようにする。まぎる時には、少しも引く事はなく、まぎりぬくという事である。よく判断する事。
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『私見』
まず、「まぎる」と言う言葉を知っておく必要があるようです。「紛る」と書いて、古文では「まぎる」と読むそうです。(出典:学研全訳古語辞典) 又、「間切る」と書いて「まぎる」と同じ読み方をするようです。
「紛る」の場合は、見まちがえる。区別できなくなる。又は、気が紛れると言うような使い方もあります。「間切る」は、「帆船が,間切り走りで風上に進む。」のような使い方をします。(出典:三省堂大辞林)
武蔵は、九十九折のように進む事を、「まぎる」と言っていますので、波を切って進む船の様子から、そう書いたと推測できます。
ただ、「紛る」の意味も捨てがたく、斬り進む様子は、正に相手の中に紛れ込むのではないでしょうか。
この場合も、言葉に振り回されていますが、私は、その事より、「敵くづるゝとミバ、すてゝ、」(原文)の言葉が気にかかります。
ただ、相手の軍勢を切り崩して、例えば本陣に斬り込むのであれば、腑に落ちる所です。
でなければ、その軍勢と、最後まで優劣を競う場合には、止めを刺さずに次々に進めば、どんどん敵は増える一方になります。
合戦を想定すれば、前者すなわち、本陣に斬り込む場合が、武蔵にとって自明の理であったのだと思う事にしましょう。
【参考文献】
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html
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