【出典:熊本県立美術館 所蔵品 データベース 独行道】
今回で、『独行道』も21ヵ条目で、最後になりました。参考文献は、殆ど参考にせず、独自の見解で読み進めてきました。私の見解が正しいのかどうかは、実の所分かりません。それでも、『五輪書』から武蔵の実像を想像しながら、ここまで読み進めてきました。
活字にしても、墨蹟(武蔵の自書)になるべく近いものにしようと、他の参考文献とは違う、変体仮名の元になった漢字を当てました。
『独行道』最後の【常尓兵法の道を者奈礼寸】は、『常に兵法の道を離れず』と読んで見ます。
[尓](に) | [者](は) | [奈](な) | [礼](れ) | [寸](ず) |
武蔵は武芸者ですら、当たり前と言えば当たり前なのですが、『24時間戦えますか』の歌詞で有名になった、リゲインと言うドリンク剤もすでに、30年近く前の話になります。このリゲインのキャッチコピーも時代と共に変わり、2014年には、24時間戦うのはしんどい、3、4時間戦えますか?と変わりました。もう、3年も経ちますが、時代を反映していると、驚きました。
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世の中には『不易流行』と言う言葉があります。ビジネスの世界でもよく使われる言葉です。意味は説明するまでもないと思いますが、「不易を知ら座れば基立がたく、流行を辧へざれば風あらたならず。」と、俳人・松尾芭蕉が旅の途中で体得した概念で、俳諧の理念とされています。
要するに、変わる事のない真理を基礎として、時代により変化する事を感じなければ進歩しない。という事を言っています。
簡単に言えば、世の中には、変えていいものと、変えてはいけないものがあるという事です。そして、変えてはいけないものを、知る事が大切だと思います。
武蔵が言う、『常に兵法の道を離れず』も、真理を知るための一つの方法だと思っています。
私も武蔵や芭蕉と比較は出来ませんが、一つの道を迷いながら、そして、寄り道をしながらも、空手道と言う道を歩き続けてきました。私がよく言う『いい加減』にですが、それでも社会生活とバランスを取りながら、歩み続けています。
私には、真理は未だ見えずにいますが、一つの道を歩み続けたお陰で、幹になる部分はあるのではないかと、思っています。いわゆる、拠り所を空手道に置いています。
人間は、真直ぐな道を、真直ぐに歩んで行くことが、許されていないのかも知れませんが、ある日突然、岐路に立たされます。そんな時に、拠り所となるのが、私の場合は、空手道と言う道でした。
武蔵は、『 佛神八貴し佛神越太のま須』と誓い、神仏に頼る事は無かったと思います。それは、自分に頼る道があったからだと、思います。それが、武蔵の場合は、兵法に他なりません。
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髓心とはの『心の開放』にも書きましたが、御釈迦様が最後に残した言葉『自灯明』の通り、「おのれこそおのれのよるべ、おのれをおきて誰によるべぞ、よくととのえしおのれにこそ、まことえがたきよるべをぞ獲ん」の心境に達する為にも、『常に兵法の道を離れず』が必要なのではないでしょうか。
今日で、『独行道』もようやく読み終わりました。 明日は大晦日、良いお年をお迎え下さい。 明日から一週間ほど、ブログはお休みさせていただきます。 来年もよろしくお願いします。 |
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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