「五輪書」から学ぶ Part-72
【火之巻】将卒をしると云事

 【五輪書から】何を学ぶか?  

 教育と言うのは、時代を根こそぎ変えてしまうように思います。昨日までの価値観が全く役立たなくなった事が、第二次世界大戦直後に日本でありました。これは、敗戦によるイデオロギーの変換ですからなんとなく、理解する事は出来ます。納得するか、しないかではなく。いや、当時成人だった人にとっては、苦渋の選択だったと思います。
 
 幼少期からの環境や教育は、自分でも気付かない間に、自分の価値観を形成してしまいます。マインドコントールや洗脳と言う言葉は、悪い印象がありますが、学校での教育も、目的は違っても、同じように価値観を作る、人間形成をすると言った事では、同じ事だと思います。
 ただ、日本での学校教育の目的は、マインドコントロールや洗脳をすんなりと受け付けないように、視野を広げる事が目的だと思っています。

 今回のテーマでは、「将」と「卒」、現在では「上司」と「部下」のような関係でしょうか。僅か、50年程の月日の間に、自明であった「上司」と「部下」の関係も、かなり変化してきました。
 私にはどちらが良いのか、判断に迷います。人間と言う個人を主体に考えれば、現在の方が良いのかも分かりません。

 しかし、資本主義と自由主義という、矛盾した関係の中で、調和を取ろうとしているのであれば、これも一つの人間の進化過程と考えるべきでしょうか。

 武蔵が言う「将」と「卒」の関係であれば、戦略や戦術も立てやすいと思います。

 目的、目標が違うと、全く進路が変わります。さて、どちらに行くのが正しいのでしょうか。

【火之巻】の構成

26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
  
『原文』
26. 将卒をしると云事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
将卒を知るとハ、何も戦に及とき、我思ふ道に至てハ、たへず此法をおこなひ、兵法の智力を得て、わが敵たるものをバ、ミなわが卒なりと思ひとつて、なしたきやうになすべしと心得、敵を自由にまはさんと思ふ所、われハ将也、敵ハ卒也。工夫有べし。(1) 
【リンク】(1)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 26. 将卒をしると云事

 将が卒を知ると言うのは、およそ戦いになれば、自分が思う兵法の道に達していれば、何時もこの方法を実践し、兵法の知力を得て、敵を皆自分の部下と思って、やり易いように動かすと心得る。敵を思うままに動かそうと思う所では、自分が大将である。そして、敵は部下である。工夫する事。


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 『私見』
  
 ここで言われているのは、自分のペースで戦いを有利に進めると言う事です。
 戦いをする上で、相手に良いように動かされてしまっては、勝機を逃します。常に自分が、積極的に流れを作って行く気持ちで戦う事が、大切であろうと思います。

 しかし、現在では、武蔵が言う、将と卒の関係が崩れ、命令一下と言う分けに行かないのが実状です。

 まだ、自衛隊や一部の組織では、上席の言う事に絶対服従する組織もあります。しかし、文部科学省事務次官であった人のように、「面従腹背」なんて言葉を平然と言い放つ人が組織の長になる時代ですから、組織自体の存在が危ぶまれます。
 「面従腹背」なんて言葉は、人を非難するための言葉と理解していました。それが、「座右の銘」と言うのですから、日本の最高学府のトップと言われる東京大学では、いったい何を教えているのでしょうか。

 組織を単純に考えると、参謀本部で決めたことを、実行部隊が異論をはさみ、自由勝手な議論を始めると、何も前に進みません。この組織をスムーズに動かすためには、大前提が必要です。参謀本部に居る人は、実行部隊の誰よりも、優れている事が自明である事です。少なくとも、その組織の目的を達成する事柄に対しては、そうあるべきです。会社で言えば、仕事と言う事です。
 もちろん、昔も今も、これを素直に受け入れる実行部隊の人達ばかりでない事は、歴史が物語ってはいます。

 組織論と言うのは、随分昔から哲学者を始め、社会学、政治学、心理学、経営学などの学者が、その時代に即した組織の在り方を、模索してきたように思います。

 教育が組織の崩壊を助長させているのか、それとも、時代が新しい組織を生み出そうとしているのか、国際的にも国と国との繋がりや、経済社会での人々の繋がりが、なんとなく岐路に立たされているのではないでしょうか。

 今や、武蔵の言う、将と卒の関係で、考える事はできません。たとえ自分の子供や妻であっても、自由な個性を持つ人間です。自由気ままに操縦する事は出来ません。
 しかし、戦いの中で、相手を手玉に取る事が出来れば、勝つための、有効な手段になる事も事実です。
 それでも、味方と思われる上司と部下でも、意のまゝに動かす事は、現在では、至難の業です。まして、敵を意のまゝに動かそうとすれば、どういう方法があるのでしょう。

 武蔵も、精神的に将が卒を扱う気持ちを、示しています。現在これを実現するためには、普通の会話にも出てくる、上から目線や、時代錯誤と言われそうな、強制的な方法ではなく、自分のペースに相手を誘導すれば良いのだと思います。
 強制的に相手を誘導するのは、比較的簡単だと思いますが、それを「必然的」に相手が動かざるを得ない方法を、取ってみてはどうでしょう。

 大きな流れであれば、 うろめかすと云事でも誘導方法を書きましたが、標識に当たるものを相手に見せるのも、一つの作戦として有効な手段です。誰も、危険な方には敢えて行こうとしません。

 ここでの(将卒をしる)標識は、相手を混乱させる為(うろめかすと云事)ではなく、あくまでも、こちらの意図した方向に進ませるためです。ちょうど避難誘導のように。

 一対一の戦いでは、フェイントを使って相手を誘導する事も考えられます。これも、 うろめかすと云事で紹介した、柔道の三船久蔵先生の技を懸ける前の一瞬の動作が、自分のペースに相手を誘導する、非常に有効な方法と思います。「柔道一路」(出典:三船久蔵(1955)『サンケイ新書 』)にすでに「空気投げ」について著述されています。

 この本を出された時に三船先生が72歳ですから、もっと若い頃に編み出されたのでしょう。私も歳だけは近づいていますが、とても発明できそうもありません。
 やっぱり、名人、達人、神様と言われる人は、凄いですね。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html