【五輪書から】何を学ぶか? |
私は、五月五日が誕生日です。ですから、「たけくらべ」と言うと、「背くらべ」の歌詞、「柱の疵はおととしの五月五日の背くらべ・・・」が直ぐに頭をよぎります。「やっと羽織の紐のたけ」と一番の歌詞は終わりますが、そんな時代がありました。一年に10cmも背が伸びたことも。それでも、最近はどんどん、身長も縮んで来ています。
そんな他愛もない「たけくらべ」であれば、問題はありません。
しかし、ここで武蔵が言う「たけくらべ」は、「勝つ利」の方法論です。身の丈6尺(約180cm)と言われた宮本武蔵が言う、「たけくらべ」とはどのようなものでしょう。
【水之巻】の構成
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
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26 たけくらべと云事
丈比べと言うのは、どんな場合でも、敵のそばに入り込む時は、自分の身体が縮まないよう、足も腰も、首までも伸ばして、強く入り、敵の顔と自分の顔を並べて、身長を比べて、比べ勝つと思うほど、身長を高くして、強く入ることが重要である。よく工夫する必要がある。
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『私見』
私の好みではありませんが、戦いの場でなくとも、人を威圧したり、牽制したりして、少しでも相手より有利に、事を運ぼうとする人が多く見られます。
国と国では、抑止力と言う言葉に変えていますが、同じようなものだと思っています。油断は大敵ですから、常に準備はしておくに越したことではありません。
しかし、身の丈に合わない、砂上の楼閣のような虚勢だけは、避けたいと思っています。
自分自身が小さいからかも知れませんが、たけくらべなどされても、一向に怯むものでありません。初めから大きい人よりも小さいのですから。そんな上辺の事で萎縮する必要はありません。
仕事の面でも、相手との交渉事で、相手が3人だから、こちらは4人とか、私には理解できない事が、実しやかに実施されています。私から言わせると烏合の衆では、ものの役に立つものではありません。実際にそんな経験は幾度となくしました。
野生の動物の世界では、「威嚇」はかなり有力な方法なのでしょう。牙をむき、大きさを競う状況は、色々なテレビ番組で見る事ができます。その威嚇や威圧だけで、すごすごと後退りする姿を見せられる事もあります。
最近ではあまり見る事はありませんが、散歩をさせている犬なども、同じように吠えたりしています。犬の場合は、性格もあるのか、小さい犬程キャンキャンと吠えるような気がしています。
幼少時には、我家に犬が二匹いました。一匹は秋田犬で、大きさは、立つと160cm程ありました。もう一匹はスピッツですから、小型犬です。
どちらが、強いかと言いますと、スピッツで、秋田犬はすごすごと引き下がる方でした。ちなみに、スピッツは雌で、秋田犬は雄でした。
今、このブログに時々登場するアーチャン(雌)の方が、練(雄)より体は半分程しかないのに、強いです。
これを人間が真似する必要があるのでしょうか。もしかしたら、言葉を持たない野生の動物が、無駄な戦いを避ける為に、選んだ方法なのかも知れません。
言葉を持ち、色々な教育を受け、教養を付けたり、修行のできる環境にいる人間は、もっと本質的な揺るぎのない心と技術を持ちたいものです。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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