「五輪書」から学ぶ Part-34
【水之巻】秋猴の身と云事

   五輪書から】何を学ぶか?  

 今日の題名のように、一気に秋を感じさせる季節になりました。「秋」をどう感じるかは、人それぞれですが、私は過ごしやすい静かな秋を想像してしまいます。

「読書の秋」、「食欲の秋」や「天高く馬肥える秋」などは爽やかな秋ですが、「物言えば唇寒し秋の風」、「秋の日は釣瓶落とし」などは、なぜかもの悲しさも感じさせるのが、秋、という事でしょうか。

 「小春日和も暖かく、みんなの心そのままに、うれしい今日の運動会」と歌った小学校の運動会から、60年の歳月が夢のように過ぎ去って来たことを思い出すのも、秋なのかも知れません。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
24 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事 (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 秋猴の身とは、手を出さぬ心なり。敵へ入身に、少しも手を出す心なく、敵打つ前、身を速く入るる心なり。手を出さむと思ヘば、必ず身の遠退くものなるによつて、総身を速く移り入るる心なり。手にて受け合ふほどの間には、身も入りやすきものなり。よくよく吟味すべし。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』

 24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事

 秋猴の身とは、手を出さない心である。敵の間合いに入る時に、少しも手を出す気持ちがなく、相手を打つ前に、身体を速く入る心である。手を出そうと思えば、必ず相手は間合いを外し遠くなるので、全身を素早く移動して入る気持ちである。相手の刀を素手で受け取る程の間合いであれば、身体も入りやすいものである。よく熟考するべきである。 

 『私見』

 秋猴とは、「秋の寒さに手を縮めている猿」(出典:『五輪書』ちくま学芸文庫.)という解説がありました。直ぐには理解しがたいと感じています。秋は季節が良いので、冬なら納得できるのですが、良く判りません。
 しかも、旧暦であれば、秋は、7月・8月・9月の事を指すと思いますし、寒さとは程遠い季節と思います。
 ただ、検察官記章にある「秋霜烈日」のように、秋に降りる霜の厳しさを表すこともありますので、やはり秋は寒いのでしょうか。

 武蔵が言おうとした事は、本来、長い手を持ち、器用にその手を使う猿を、引き合いに出したのではないのか、とも思っています。
 相手との間合いは、手の位置によって距離を測る場合が多いと思います。その手を長く出せば、相手との間合いも遠くなり、攻撃しにくくなるのが、一般的でしょう。

 武蔵が言う、間合いを詰める方法として、手を使わないで、身体を近づける方法は、確かに理に適っている方法です。十分に使える器用な手を使わない方が、間合いを詰めやすいと、言う事でしょう。

 柳生石舟斎宗厳(柳生 宗矩の父)の歌に「斬り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 」があります。武蔵の言葉とも言われていますが、私は幼少期からの思い込みかも知れませんが、石舟斎の歌だったと記憶しています。

 この歌にある場合は、切っ先の下は地獄であるが、半歩身を寄せると、反って安全であるという事だと思います。しかし、間合いが近すぎて、刀が思うように振れないという事もあります。通常は、間合いが近い事は、どちらにも有利ではありますが、どちらにも不利な局面だと思います。

 ここで、大切なのは、自ら意思をもって近づく事に、大きな違いがでます。
 しかも、素早く入る方法として、素手で相手の刀を奪うつもりで、と書いてある事は、特筆すべき言葉だと思います。これだと、石舟斎の歌も活きてきます。

 これを実現するためには、単に蛮勇であっては、「勝つ利」とは言えません。相当の稽古が必要であろうと思っています。

 現在の社会でも、若干意味合いは違いますが、「相手の懐に飛び込む」と言う言葉を使います。相手に気に入ってもらえるキッカケになったり、相手の気持ちを理解するうえでも、大切な方法ではないかと思います。
 しかし、これも、少し間違えば、非礼にもなりかねません。結果は惨敗と言う破目にあっている人を見る事があります。
 本当に、よくよく考えて見ないといけませんね。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.